アレクサンドロス変相―古代から中世イスラームへ―

アレクサンドロス変相―古代から中世イスラームへ―

アレクサンドロス変相−古代から中世イスラームへ 山中由里子
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P12:神野志隆光は文字テクストとして成り立った『古事記』『日本書紀』が、後代様々な文脈において書き換えられ、解釈される、そのありようを「テクストの変奏」と説明している。
P16:ギリシャ・ローマの歴史家たちによるアレクサンドロス伝は、イスラム世界においては知られていなかった。・・・ギリシア歴史学自体がイスラーム世界においては、ギリシア科学の他の分野の知識ほどの影響力を持たなかった様である。
P19:「偽カッリステネスのアレクサンドロス・ロマンス」
P34:アレクサンドロス幼少期の教育は母オリュンピアスと縁故にあったレオニダスに任されていた。アリストテレスが招待されたのは紀元前343年でアレクが13歳のとき。
アッリアノス『アレクサンドロス遠征記』
P50:アレクサンドロス軍が故意に建造物などを破損した確かな形跡が、ペルセポリスのいたるところで発見されている。
P58:「ヘレニズム期」と呼ばれる東方のギリシア化神話は、近代の植民地主義の中から現れてきたものである。
P61:「イラン」という概念自体はササン朝時代までは確立されていない。
『シビュッラの神託集』:神のお告げをギリシア語の六歩格の詩で伝えた巫女
P91:「アレクサンドロス模倣」
P101:アル=イスカンダル・ズ・ル=カルナイン
P105:『クルアーン』では「ユダヤ、キリスト、サービア教徒」が啓典の民
P127:「ダニエル書」8章の預言でアレクサンドロスはペルシア支配を取り除く救済者として描かれている。
P195:ズ・ル=カルナインは宋代の地理誌『諸蕃誌』(1225年)に「狙渇尼=そかつに」として現れる。寺島良安『和漢三才図会』(1712年)の「沙粥茶=さみちゃ」
「君主の鑑」
「アダブ」
イウン・アル=ムカッファア→『パンチャタントラ』のパフラヴィー語版をアラビア語に訳した『カリーラとディムナ』
『純潔兄弟団の百科全書』→『秘中の秘』
「王のタリスマン」、「マジック・ボウル」
『ダーラーブの書』
P252:イスラーム世界が帝国の統治に必要な知識をビザンツやペルシアの君主道徳や宮廷儀礼から移入する際に、アリストテレスアレクサンドロスに宛てたという虚構の書簡が大きな役割を果たした。
P253:イスラーム勃興以前のアラブ人は、過去の出来事の記録を残す伝統を持っておらず、それでもイスラーム世界において、過去を歴史化するという思考が、外からの影響ではなく内在的に起こったことは、謎であるとすらいわれている。
P257:イスラーム勃興から1世紀ほどは、書物が学問的情報伝達手段としては蔑まれる傾向にあり、口頭伝承により価値が置かれていた。
P259:ワフブ・ブン・ムナッビフ
P294:イブン・ハビーフ・アル=バグダーディー『麗筆の書』:現存する著作では、ペルシア王朝史と聖書的世界史を取り入れた最も早い例。
P295:イブン・クタイバ『知識の書』:クッターブ(クルアーン学校)の講義用読本であった。・・・イブン・クタイバは聖書の情報とワスプの伝承を明らかに区別し、聖書の原典の文体をなるべく忠実に伝えるように気を使っている。聖書の翻訳を使ったアラブの著作としてはおそらく最初。・・・また、ハディースの伝承経路を示す細かいイスナードが省略されていることも同書の特徴。
”地上の王となった4人の王がいた。敬虔な王はソロモンと二本角、不信心な王はニムルドとネブガドネザルであった。”
P300:「アッ=サンダル(臭い消しの薬草)」、「アール、サンダル!(サンダルの強い香り)」
P315:「プトレマイオスの王名表」
P320:アエリアノス『動物の本性について』−豚にタールピッチを塗り火をつけ放した。
P331:マスウーディー『黄金の牧場と宝石の鉱山』、『提言と再考の書』
P397:彼は「超越」と「限界」を同時に体現した人物。
P400:・・・ガズナ朝時代になると。アレクサンドロスをめぐるこうした民族意識の発露は影を潜めてゆく。
P404:・・・過去に「現代的価値」を見出そうとする際、ときに人は「現代の価値」に見合うようにその過去を都合よく捏造してきた・・・