『葉隠』の武士道―誤解された「死狂ひ」の思想 (PHP新書)

『葉隠』の武士道―誤解された「死狂ひ」の思想 (PHP新書)

葉隠』の武士道 
7:常朝と師匠の石田一鼎の行動の違い:著者常朝の自己弁護の書。<松田修
80:曲者と紛者
聞書八−44:川上喧嘩
87:長崎喧嘩、川上喧嘩とも中間身分は武士に対して「棒」を使用している。
103:「夫婦で襲撃」聞書九−39、「夫の敵を単独で討つ」八−62
107:「助太刀を禁じられ果し合いで兄に加勢した弟」聞書七−25
115:「武士の掟」と「幕府の法」のジレンマの時代に書かれたので屈折した内容になる。
133:「慰方に召し仕われ候者」:常朝が光茂の衆道相手とも解釈できる。他に、前髪を立てるのを命じられたり、光茂の夜着や蒲団を拝領する。
138:最大の功労は光茂の念願であった古今伝授の「切紙」を得るのに奔走したこと。
146:「主人を見限左右成者」三代藩主鍋島綱茂が幼少の常朝を見て言った言葉。
149:武士は「家」が最重要である。
169:「武士道とは死ぬ事と見付けたり」という思考停止を他人に要求する無責任な態度:「曲者」の真似をしているだけの老人の戯言。
177:「冗談か?」聞書十一−9、「不義密通」九−20
181:「不義密通などで家の恥になる危険があるから娘は育たぬが良し」聞書二−117
195:『葉隠』は佐賀藩では教材には成らなかった有害図書