外から見た「日本文化」

外から見た「日本文化」

外から見た<日本文化>

P15:『菊と刀』は米国戦時情報局の要請の結果
P23:「万邦ヲシテ各其ノ所ヲ得シムル
P25:「相互債務の巨大な網状組織」に取り込まれていることの承認、ここに日本人にとっての義務の源泉を認める。
P30:「恥の文化「と「罪の文化」の対比に費やされているのは僅か「数頁」である。
P39:長崎出島のオランダ商館は西欧諸国の共同利用機関として機能していた。
P41:西欧列強が押し寄せた前後の日本の産出品:世界の1/3を占めた「銀」、銀が枯渇して「銅」、「絹、綿花、日本紙」と豊富。
木口版画
P50:ドロそうめん←パスタが元
P75:「インド製日本の着物」の大流行:ライデン大学(1725年)創立100周年記念式典で、”少なくともミサに参加するときには日本の着物を身に着けないで欲しい”と学長が触書を出す。1760年代フランダース地方を旅行したフランス人が”どんな町の人もみんな病人のようだ”と日記に書いている。←欧州ガウンの起源?
P76:19世紀に入るまでは、欧州に輸入された茶の半分以上は「緑茶」で、紅茶は劣勢だった。
P84:ローラ・ボナハン”アフリカ奥地の部族には「幽霊」の概念がない”
P86:1677年作者不詳、仮名草子『諸国百物語』「越前の国府ろくろくびの事」の「ろくろ首」は長い首ではなく、胴と頭が離れた姿。
飛頭蛮」、「頭飛似轆轤」:中国南部にいる頭を飛ばせる民族(多くが女)。『挿神記』、『酉陽雑俎』、『本草網目』
1686年山岡元隣『古今百物語評判』の挿絵には胴と首の間に「筋」が描かれている。
1796年十返舎一九『信有奇怪会』
P102:『ノルウェイの森』は『喪失の時代』に改題されて
「タクワン・ネンセ」
P106:「冬のソナタ」は『キャンディ・キャンディ
P107:手塚治虫西遊記」は1944年『桃太郎・海の神兵』が引用されている。
P108:東映には「満州映画協会」の影がある。『白蛇伝』、『西遊記
P109:『甘い生活』←1961年『波涛を越える渡り鳥』
P121:清朝日本教導(日本人教師)は10年で最盛時には数百人
P122:「留日反日」:陳天華
伊藤六十次郎『満州問題の歴史』
P136:『観能図屏風』は『異時同図』だから景観と制作年代に齟齬があるように見える。
P139:能・狂言を見直したのは久米邦武(目黒駅前の久米美術館)、復興の立役者は岩倉具視。1879年米(前)大統領グラントが来日の折に、岩倉具視邸で見た能に感激して(実際には見ていない)その保存を勧告した、との話は外圧を装っている。
P141:モースとフェロノサは浅草厩橋の初代梅若実(1828-1909)について謡の稽古を受けている。
P145:フリードリヒ・ペルツィンスキー『日本の仮面−能と狂言』「日本の面打芸術の発展史は実は日本でこそ書かれるべきものである」
宇津木愛子『日本語の中の「私」』