殉教 日本人は何を信仰したか 山本博文
P48:「マルチリヨ(丸血留)の栞」
P49:迫害者が天罰を受けないのは、善人を鍛えるために生かされているからである。神罰はいずれ必ず加えられるから、急ぐ必要はない。
P69:「跣足修道会」
P111:武士たちの殉教は、武士一般のメンタリティの延長線上にあった。
P114:『聖遺物の世界』
P121:「フロスクリ」、『聖教精華』ー「はてれ衆」「きりしたんの男衆」
P124:1610年1月6日有馬晴信、ノッサ・セニョーラ・ダ・グラッサ号を撃沈。
P132:徳川家康は俸禄の為に棄教した榊原加衛兵を「臆病で卑怯な者」としたので、加衛兵は名声絶えて人前から姿を消す。家康でさえ、武士ならば苦境の中にあっても信仰を守り通すべきだと考えていた。
P176:背教者トマス荒木
P194:平山常陳事件、
P219:大多数の民衆の元キリシタンは、いつの間にか宣教師に罵声を浴びせる「異教徒」に立ち返っていた。
P232:天草島原一揆の犠牲者2万数千人は決して殉教者ではない。
P250:マカオの商人は、宣教の援助を断り、彼等の渡航を妨害さえした。
P251:宣教師にとって殉教は望ましいものであり、元和大殉教の際、イエズス会司祭スピノラは、死に逝く女子供のことを全く悲しんでいない。信者や子供が殉教によって死ぬことを嘆くという発想は、宣教師であるロドリゴにもあるはずがなかった。遠藤周作が描くロドリゴの発想は現代的で、17世紀に生きた宣教師ではありえない。