大名行列を解剖する―江戸の人材派遣 (歴史文化ライブラリー)

大名行列を解剖する―江戸の人材派遣 (歴史文化ライブラリー)

大名行列を解剖する 江戸の人材派遣 根岸茂夫
P6:茶道=茶坊主
P22:多ければ約四分の三にあたる200人以上、少なくとも60%近い160人以上は人宿から派遣。
P25:「備」、「押」
P26:鉄砲・弓・長柄隊による前哨戦の後に、本格的な戦闘は騎馬武士が馬から下りて本陣の前に展開し、徒歩で家来を率いて敵陣に突入して、一騎打ちで敵の首級を取り手柄を立てる。それが武家の恩賞・加増や昇進につながるのが、戦国以来の武家社会の建前。
P28:持鑓・持筒・乗替え馬・持弓とは主人の使う武器。
P39:知行100石は100俵、蔵米120俵は120俵、40人扶持は200俵となり、実収入は40人扶持が多い。
P43:「御旗本に召し置かれ候御家人
行列は近世の武家社会の構造そのもの
P46:「一季居」=一年単位で奉公先を替える渡り奉公人
P55:「地頭」は知行地から百姓を夫役として徴発し、江戸屋敷で使用することもできた。
P57:1631年、幕府は小者が侍になるのを禁止している。徒・若党・足軽・中間・小者といった下層の奉公人には、実際彼等の間では格差も無かったようである。
P59:『雑兵物語』に登場する30人の足軽・奉公人は全て「近世前期」に確立した武家社会における武家奉公人の役割を物語るもので、戦国期のものではない。
P82:「人宿・入口・口入・請人宿・奉公人乃宿・けいあん」に奉公人希望者として所属した者を「寄子」・・・木挽町の医師「大和慶安」が本業より縁談の媒酌を専らとしたので、縁談や奉公の斡旋者を「けいあん」と呼ぶように
P96:「相対済令」
P116:下々の階層が同等の者やさらに下の者を差別する。
P128:『官府御沙汰略記』には、親戚同士や近所で勤務が同じ場合など、同じ供揃えを二人の幕臣盥回しした例が記載。
P159:田沼家の陸尺部屋の頭の「赤鬼」
P167:奉公人は非道な主人には、それなりの仕返しをした。
P184:天保11年の組合人宿の寄子は、35143人、その大部分は江戸の人別を持っていない流れ者。
P206:人々が社会のさまざまな矛盾や身分差別に疑問を持つようになり、近代社会を受け入れるだけの実力を持つのに、300年掛かったのである。
P203:『幕府歩兵隊』−元の武家奉公人・日雇・鳶人足を人宿から雇った。