自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝

自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝

自分の体で実験したい レスリー・デンディ+メル・ボーリング

(ジョージ・フォーダイス)
P21:犬は唾液の蒸発で体を冷やす。
P24:ジョージ・フォーダイスとその仲間は乾燥した空気の中、127度まで耐えた。
(ラザロ・スパランツァーニ)
・パンを(三重にした)亜麻布の袋に詰めて飲んで、袋が便と共に出たとき、乾いたパンの欠片が残っていたので、自身で味見する。
・消化液がしみこむ様に小穴を開けた木製の筒に小牛の肉を入れて飲み込みヒトに砂嚢に当るものが無いのを確認。
・葡萄やサクランボの実を噛まずに飲み原型のまま排出されるのを確認。
・実験用に自身の胃液を採取。
(ウィリアム・モートン&ホレス・ウェルズ)
亜酸化窒素の吸引、歯茎にプロカインを注射、チオペンタールナトリウムは完全麻酔
・ロバート・リストンは30秒以内にで脚の切断手術を行う「時間だ、諸君、時間を計ってくれたまえ!」
・19世紀、亜酸化窒素やクロロホルムエーテルは「娯楽」で吸う。
・クロフォード・W・ロングはエーテル麻酔で1842年に腫れ物を取り除く手術に用い、その後も6回ほど使ったが、その後数年間は誰にもエーテル麻酔のことは話さなかった。(目撃証言はある)
・1846年10月16日、モートンエーテル麻酔の公開実験に成功。
・「麻酔の父」ホレス・ウェルズは1848年、通行人に硫酸をかけて逮捕投獄された翌年、痛み止めにクロロホルム吸った上で自殺。
・脊椎穿刺=腰椎穿刺
(ダニエル・カリオン)
ベルーガ・ペルアーナ=ペルーいぼ病」、「バルトネラ菌」
・赤血球が破裂するとヘモグロビンが血液中を漂う。その血液が腎臓を通るときヘモグロビンが濾過されずに尿に入ると血尿。ヘモグロビンが分解されて作られるビリルビンが「黄疸」の原因。
・いぼ病は哺乳類ではヒトと一部のサルだけが罹るのでマウスなどを使った常識的な実験では成功は望めなかった。
・彼が摂取した血液にはサシチョウバエに数百回刺された量の菌が含まれていた。
(ジエシー・ラジア)
・1900年9月5日、2人の実験体を蚊に刺させて「黄熱病」に罹患させる。
・黄熱病の末期が黒吐病、「ミアズマ」
・1900年9月13日、3人目の実験体に自身を選ぶ。
・19世紀後半、黄熱病が流行した都市から出された手紙には、ホルムアルデヒドで燻蒸消毒されて細かい穴が開いている。
・1960年21の国でネッタイシマカ根絶の宣言がでると、駆除作業が止む。1997年にその21国でネッタイシマカが黄熱病の他にテング熱をも連れて戻ってきた。
・1960年以降に蚊が復活したのは、微生物に分解されないオモチャやタイヤに雨水が溜まり、そこに繁殖したからである。
・1996年時点で、400種の蚊によって、毎年7億人が感染し、300万人が死んでいる。
マリー・キュリーピエール・キュリー
・キュリー夫妻の研究室は粗末な小屋で、かつて死体の解剖所
・アルファ粒子は秒速16000から24000キロで空気中を飛ぶ。
ラジウム原子量225.93amu
「分別結晶法」
・ガンマ粒子(光子)は可視光の10000倍から1000万倍のエネルギーを持つ。
「キュリー療法」、「プチ・キュリー」
1921年、訪米の際にW・G・ハーディング大統領からラジウム1グラムを貰う。
ヨウ素131
ラドンガスはラジウムが土の中で崩壊していく過程で発生するもので、特別な対策を施さないかぎり家の中にも入ってくる。ラドンが体内に取り込まれると、崩壊しながらポロニウムを放出する。このポリニウムが肺癌を引き起こすと現在では考えられている。
(ジョン・スコット・ホールデーン、ジャック・ホールデーン)
・ホ家の家訓は「耐えよ」である。
・炭鉱夫は廃坑を這い進む。立って歩くと、天井近くにメタンガスが漂っているかも知れないからである。「デイヴィー灯」
「耳管」、「減圧症」の原因は窒素
・体を酸性にするには「塩化アンモニウム」を飲む、アルカリ性には深く速い呼吸を2,3分続ける。
・J「生理学者に狩猟好きがいるという話は聞いたことがない。傷ついた動物がその場を逃れて死んでいくとき、その過程で何が起きるかを彼らは知りすぎているからだ」
・1939年、潜水艦テティス号、ヘレン・スーパーウェイ
・酸素分子が肺細胞を通って近くの毛細血管に拡散する(漂っていく)。
(ヴェルナー・フォルスマン)
・「カテーテルよりも造影剤を入れる方が怖かった」
・1929年の右心カテーテルの挿入で勤務先を解雇される。
「血管形成」、「ステント」
(ジョン・ポール・スタップ)
・大学時代一日50セントで暮らし、実験に使ったモルモットの肉を食べた。
「ロケットスレッド」
「シエラ・サム」
・後ろ向きの方が35Gに耐え易い。→軍隊輸送機の座席が後ろ向きになる。
・スタップは人体が5トンの力にも耐えられるのを証明するが、その長さ0.25秒が限界だった。
・クッションの効いた後ろ向きの座席に宇宙飛行士をベルトで固定し、進行方向に対して斜めになってほぼ平らに寝るような形にする。時速150キロ近い速度で普通の硬さの地面に落ちても無事でいられる。
・1985年、衝突試験専用ダミー「ヴィンスとラリー」
・スタップが21世紀に蘇ったら、車の内外をクッションで覆えと指示するかもしれない。
(ステファニア・フォリーニ)
・1989年1月13日「ロスト・ケイヴ」に降りる。「バスルーム」以外にはプライバシーは無い
・蜘蛛におやつをやり、二匹のネズミと友達になった。
・30時間起きて、12時間眠り、一日42時間のときもあった。食事の間隔が長くなり体重が減り始める。最終的には10キロ減った。・・・ナチュラルキラー細胞は活発、インターフェロンも増える。・・・骨のミネラルが失われて腰の椎骨は弱くなった。
(年表)
1921年・ヘレナ・スパロー:発疹チフスに感染したモルモットの脳組織を自分の皮下に注射する。
1930年代から40年代・エルシー・ウィドウソンとロバート・マッカンス
1933年・ジャック・ポントー:血清の効果を試す為に3匹のクロクサリヘビに噛まれる。
1934年・ソクラテス・ラゴーダキー:ハンセン病患者の血液を3回注射する。感染による発症を5ヶ月間放置した後、100回近くの注射と1000個以上の薬を飲むことで病気を自力で殆ど治した。
1944年・クロード・バーロウ:エジプトからアメリカに持ち運ぶため、住血吸虫を腕と臍の皮膚から体内に侵入させる。
1986年・バリー・マーシャル:「治療不能な」潰瘍の原因は細菌にあると考え、その細菌の培養液を飲む。この実験によって潰瘍の治療法は一変し、今では抗生物質で治療可能となる。
1992年・スチュアート・アンスティス:特殊メガネ(白黒反転、補色に変える)をかけて脳の順応性を試す。
1996年:カーク・ヴィッシャーとリチャード・ヴェッター:蜂に何十回と刺されて、毒針を早く抜けば、体内に注入される毒液が少なくて済むのが判る。
1999年・アマンダ・レイノルズ:男性の頭皮の一部を自身の腕に移植する。
2004年・ロイ・ウォルフォード:79歳で死去するまでの20年間極めて、低カロリーな食事を続けた。彼らの40年にわたる研究により、この方法は何種類かの実験動物では効果があることは判っている。彼の死因は神経疾患で、1991年から93年まで「バイオスフィア2」に閉じこもったとき、亜酸化窒素の中毒になったのが原因と言われている。