グローバル・ヒストリー入門 (世界史リブレット)

グローバル・ヒストリー入門 (世界史リブレット)

グローバル・ヒストリー入門 水島司

P12:ジョーンズ『経済成長の世界史』−経済成長が可能かどうかは、成長への傾斜とそれを阻害しようとする「レントシーキング=既得権益の追及」、つまり全体の福利を犠牲にして自己の立場を増進しようとする傾向との間のバランスから決まってくる。
P15:ポメランツ『おおいなる分岐−中国、ヨーロッパと近代世界経済の成立』−長江下流域とイングランド地方には1750年で驚くほどの経済的類似性が見られた。・・・経済発展が、政治システムや財産権などの社会的差異によるのではなく、資源分布やアメリカ大陸との地理的位置関係などの「偶然的な要因=幸運」による。
P20:フランク『リオリエント−アジア時代のグローバル・エコノミー』・・・欧州の成長もその内的要因によってのみ生じた訳ではなく、経済活動の収縮サイクルの到来によるアジアの没落を利用して勃興したに過ぎない。
P22:応地利明「インド・デカンと西アフリカのミレット農耕−相互技術交流をめざして」
P24:パルタサラティ『植民地経済への移行−南インドの手織工、商人、王 1720〜1800年』−インドの手織工の賃金は貨幣換算ではイギリスの織物業従事者に比較して低いものの、それはインド農業の高い生産性が農産物価格を低く押し下げているからであり、実質賃金自体は低くはなかった、実質賃金が低下したのはその後イギリス植民地支配という政治的要因によって手織工への支配が強化され、手織工の交渉力が著しく低下してからである。
P26:バッシーノ他『実質賃金の歴史的水準比較−中国・日本・南欧、1700〜1920年』−・・・栄養摂取量で調整したウェルフェア率を利用する。ウェルフェア率が一より大きければ、所得が想定生存水準より上にあったことを意味する。
ウェルフェア率=総栄養摂取量を一日1940キロカロリー、タンパク質摂取量を80グラムに調整し、物価指数は各地域で消費される品目を量的に調整した集まり(消費バスケット)の各品目に都市毎の価格系列を乗じて計算する。また年間所得の推計値は、名目賃金率に250日(想定年間労働日数)を乗じて三(想定家族員数である大人二人と子一人)で除す。そしてこの年間所得推計値をバスケット価格で除すとウェルフェア率が算出される。
P27:アレン『生活水準の歴史−アジアとヨーロッパでの福祉についての新たな展望』
P28:ベントソン他『圧力下の生−欧州とアジアにおける死亡率と生活水準 1700〜1900』:・・・「予防的調整」は欧州の特にイギリスで特徴的に見られ、この個人主義に基づく人口調整が経済発展の基礎となったとマルサスは主張したが、非欧州世界でも予防的調整はしばしば見られたのは明らかになっている。
P30:速水融『近世日本の経済社会』−「勤勉革命」、杉原薫「東アジアにおける勤勉革命経路の成立」−資本節約的で労働集約的な発展経路が、東アジアの一般的特徴。・・・18世紀の中国は、人口が3倍増となり、一人当たりの耕地面積は0.35ヘクタールから0.2ヘクタールに減少した。日本も17世紀の1200万人から1721年に3000万人に増加すると一人当たりの耕地面積は0.18ヘクタールから0.1ヘクタールに減少した。
P40:杉原薫『アジア間貿易の形成と構造』
P45:マクニール『疫病と世界史』
P52:リチャーズ『限りのないフロンティア−近世環境史』−・・・エネルギーと資源の不足に直面したとき、日本は内向きの保全的な方向へ、イギリスは外向きの新たな資源を求むる方向へとそれぞれ全く相反する展開を示した。
P56:中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』−根菜農耕文化は豆類には無関心で、油料作物もなかった。・・・サバンナ農耕文化(コメ)では雑草は敵だが、地中海農耕文化の代表である麦類では、作物と雑草は(人間から見て)互いに補い合う関係にあった。
P60:ルミア「インド綿貿易とファッションの形成−1300〜1800年
P63:ベイリー『近代世界の誕生−1780〜1914年』
P64:松井透『世界市場の形成』
P69:アブー・ルゴド『ヨーロッパ覇権以前−もうひとつの世界システム
P72:ブローデル『地中海』
P79:『世界史ジャーナル』