誰にも書けなかった戦争の現実

誰にも書けなかった戦争の現実

誰にも書けなかった戦争の現実 ポール・ファッセル
ジープから原爆へ)
P13:「(アメリカ戦車は)ベビー・オースチンみたいなもんだ」
P17:ジョン・コステロ「敵の指導者(山本五十六)を殺害する道徳的問題に関して教会の指導者層の意見を仰いで」ようやく腹を決める。
P18:開戦当初はトミー・ガンとカービンがだったが、直ぐにM−3(グリースガン)とM−1(ガーランド)に取って代わる。
P19:・・・戦争が続くうちに「戦術」などというものはかえって仇となり、・・・
(味方を狙う兵士たち)
P27:1941年8月には、「攻撃目標から5マイル以内に辿り付けるのは10機中1機のみ、というのが普通」
・ロンドン初空襲の爆弾500トンは陸に半分、ロンドン市内に30トン。
P30:1944年7月24日、25日「コブラ事件」−友軍からの爆撃で米軍に死者25名、負傷131名「アメリカ軍の部隊の中には、逆上して友軍機に発砲を始めるものもあったが、友軍パイロットに痛めつけられて反撃するというケースはノルマンディ全域で、決して珍しいものではなかった」、ところが翌日はさらに酷かった。作戦が再開されたとき、また友軍にやられてはかなわぬと米軍は密かに何千ヤードも前線を後退していた。にもかかわらず、今回の爆撃はさらに不正確で、レスリー・マクネアー中将を含む111名が死亡、500名近くの負傷者が出た。この大失態ののちアイゼンハワーは、もう二度と地上攻撃の支援に重爆撃を使うというリスクは犯さない、と肝に銘ずることになった。・・・何週間も遡るDデイ、オマハ上陸に先立ってB-24四八〇機が1285トンの爆弾投下しているが、13000個がずっと内陸の方に落ち、死んだのはフランス人とその家畜ばかりだったのである。しかし現実認識ということでは英軍は米軍よりさらに遅かった。サンローの事件から一月後、カナダ軍兵士数百名が、地上攻撃を援護しようとした英空軍の爆撃によってファレーズ近郊で死亡している。
(また誰かがドジを踏む)
P36:「連合軍は識別の過誤が甚だしく、・・・このために何千人もの連合軍兵士が友軍の砲撃によって生命を落としている」
P37:あるカナダ軍爆撃機パウロットの証言「地上の砲手たちはいつだって怯えて直ぐ撃ってくる。こちらが北から南へ、800機もの編隊で飛んでいるのにお構いなしにだ。どんな馬鹿でも俺たちがドイツ軍でないことは判りそうなものを、いつだって高射砲弾を撃ち上げてくる」
1943年7月、シチリア島進行の際、米海軍と陸軍には、上空を輸送機と落下傘部隊を載せたグライダーが通過する旨、伝えられていたが、いざ通過の時になると、それをすっかり忘れた地上からの対空砲火が一斉に始まった。砲撃が止むまでに23機が撃墜され、第82空挺師団の兵員229名が死亡している。
P38:1937年9月3日「アテニア号」は特務艦と誤認された。ドイツはこの過誤に慌てて潜水艦の航海日誌を改竄して、この攻撃には関与しない立場をとった。・・・1943年海兵隊輸送船『マーコリー』号は友軍のPTボートに沈められた。1944年10月、日本商船に潜水艦『スヌーク』の魚雷が命中、フィリピンから安全な日本国内へ移送される米軍捕虜数千名が沈んだ。
P39:テキサス出身の伍長を撃ったカナダ人「向こうのテキサス出身の伍長が自分をドイツ兵だと勘違いして発砲を止めなかったから、米兵と承知だが撃った」
P42:ストラプトン・サンズ大惨劇−1944年4月28日演習中749人死亡。
P43:1945年6月10日に撃沈された『インディアナポリス』は確認ミスや思い込みにより撃沈された事実に各基地が気づくのに4日かかる。
(復員すればフォードがもらえる)

(鶏のクソ)
P122:ユダヤ系、「長髪」、芸術家、「いわゆるインテリ」、スポーツマンを馬鹿にしてきた奴、「秀才野郎」、「お高くとまった奴」、そして外国人。
P123:「軍事訓練の目的は・・・兵士に戦闘を待ち望むような気分にさせることであって・・・」
ロバート・ロウリー『死傷者』
ノーマン・メイラー『裸者と死者』
キングスリー・エイミス『傍聴禁止』
P137:Uボート司令官ハインリッヒ・ミュラー=エトツァルトは戦後一介の教師に。
「ケツ」
「アーミー・クレオール
P153:対連合軍宣伝放送「ホーホー卿」最終回で、ウィリアム・ジョイスは酔っているのが判る。
P156:「1944年10月から11945年6月の期間、欧州戦域では、伝染病による死者数をアルコール中毒症が凌駕する」
P178:1942年9月「敵兵の体のいかなる部分も記念物とすることを禁ずる」
「・・・妹さんがジャップの体の一部を欲しがっているのだそうです」
「サブ・ヒューマン」
P181:E・B・スレッジ
P182:『月落ちぬ』
P212:「四つの自由」
P232:同じ病室の患者たちからは何一つ情報を得なかった。
連合軍にはイタリアだけで12000名の武装した脱走兵がおり、

P238:「うちの連中はアーニー・パイルが来ているといつもよりも良く戦う」
P239:「・・・彼のコラムなどクズだ・・・」
P263:ジェームズ一世の時代は強姦と殺人が、ヴィクトリア時代には児童虐待と産業資本家の邪悪、大英帝国の静かな日々が支配的テーマであったように、第二次世界大戦の基調は「善」だった。
ジャン・ストラザー『戦時の旅』
P268:・・・「自由」は、あらゆるところに姿をあらわし、戦時の崇高な理念を支える中心思想となったのである。
P270:・・・愛国的美文の垂れ流し・・・
ジョン・マニフォールド『自由への諷刺』、『配給食のパーティ』
P277:デルモア・シュワーツ「この国の映画は酷い。演劇も、本も、教育も。批判精神も無く、戦争に勝つとすれば、それはヘンリー・ルース的俗悪の勝利である」
(声を揃えて−連合国の全体主義化)
P279:懐疑主義や皮肉とともに早くから姿を消したのが、現状認識の多様性だった。
P291:『ビヤ樽ポルカ』、『走れウサギ』
『どちらで戦う』
P304:天然ゴム産地が枢軸国の支配下に入りゴムの供給が絶たれた。1942年12月1日にガソリン配給が始まったのも、主としてタイヤの節約の為。
P307:・・・タバコも大部分が軍隊用に回ったため不足していた。兵隊のほうはPXでタダ同然の額でいくらでも買えたし、海外の任地では無料で支給された。
P311:イギリスで配給制が始まったのが1940年1月、完全撤廃が9年後の1954年、・・・完全に姿を消したのが、玉葱、オレンジ、レモン、バナナ。いつでも手に入いるのは、魚肉(鯨も含む)、オートミール、ジャガイモ、ニンジン、パースニップ(疏菜)、カブ
W・ベントン『我が恋人』、カーリル・ギブラン『予言者』
P364:ポケット聖書には鋼板表紙があった。
P377:『ペンギン・ニューライティング』
P386:ヒトラーやシュペールが入念に画策していたベルリンの最終的再建計画には「図書館」が無い。新しい目抜き通りには映画館とオペラハウス、コンサートホール、会議場、ホテル、レストラン、屋内プールが立ち並ぶはずだったが、「書店」は無い。
(キルロイ参上)
P392:「クリープバック」、「フリンジ・マーチャント」
P402:「バズーカ=ボブ・バーンズが吹く、不恰好な手製のトロンボーン
キルロイ、チャド、便所詩人スポークシェイヴ
P418:・・・この戦争の最大の武器といえば、原爆を除けば、ドイツの88ミリ平射弾道砲であって、・・・
P421:・・・「相棒の首」とか軍曹の手足、日本兵の脚、大尉の手にヤラレタ・・・
P423:Uボートは内臓を積んで、敵の機雷攻撃が成功したように見せる工作までした。
P425:・・・恐怖が長時間続くと精神に異常をきたしうるのである。
P432:1割〜2割5分が「失禁」
P439:米軍総勢1100万名中、戦闘要員からなる90個師団に属したのは200万。
WW2では敵が退却中など極稀な場合を除けば、機動戦などではなかった。それは血みどろの押し合いであって、・・・地上戦においてエンジンなどは特に重要な要素とはいえないのである。
P440:大陸に進行するために連合軍は、列車の線路付近に住んでいたフランスとベルギーの民間人12000人を殺している。
英軍『不正規戦の手引』(1942年)
P450:・・・空襲下のロンドンに熟練した死体荒しの一群が出現した。
スレッジ『泥と炎の沖縄戦』(1981年)
(訳者あとがき)
『友軍の砲撃』『よい戦争』
満州事変写真集』『ノモンハン美談集』『FRONT』