怖い絵2

怖い絵2

怖い絵2 中野京子
レンブラント『テュルプ博士の解剖学実習』
「記念集団肖像画」、「解剖学劇場=観客席付き手術室」
P10:画中の人物の内、大学で医学を修めたのはテュルプ博士ただ一人。「医者」と呼ばれたのは「内科医(解剖医を含む)」か「病理学者」で、外科医は理髪師と同義語。
P12:冬場の絞首刑は即、解剖台へ直行。
P14:「復活屋」→バークとヘア:盗掘が取締りの対象となると、係累のなさそうな浮浪者や売春婦、孤児を自宅に連れ込み殺害して解剖学者に売りつけた。→「解剖法」
ピカソ『泣く女』
モデルはドラ・マール、24歳のとき、ピカソ曰くドラは「よく泣いた」
藤十郎の恋」
カレーニョ・デ・ミランダ『カルロス二世』
P61:「フェリペ二世のように働く」
P63:7代遡っても32人
P67:王権神授を支持して血族婚姻を繰り返した。
ベラスケス『ラス・メニーナス
P76:「慰み者」−わい人、超肥満体、巨人、異形の者、阿呆、おどけ、黒人、混血児−フェリペ四世戴冠時には数百人の宮廷奴隷がいた。ベラスケスの宮廷滞在の40年間に「慰み者」は50人を超えた。奴隷市場における不具者は非常に高価だった。・・・マリア・バルボラは「玩具」として王からマルガリータにプレゼントされた。
ハント『シャロットの乙女』
フォンテンブロー派の逸名画家『ガブリエル・デストレとその妹』
P97:この逆毛を立てた髪型は1594年から1598年までの極短期間しか流行しない。
P99:化粧法として香湯、ミルク湯、ワインに浸かっている。
ベックリン『死の島』
P111:18世紀まで墓場は幽霊の跋扈するところ。・・・貧民墓地は一穴に5人ぐらい投げ込むので、定員に達するまで穴は開けっ放し、申し訳程度に石灰を撒くだけ、土を被せなかった。死体は棺ではなく頭陀袋入り。
P113:ヒットラーベックリンを11点蒐集した。
ジェラール『レカミエ夫人の肖像』
P121:この絵は恋人に贈られた、この衣装は古代ギリシャ・ローマ風の礼装である。・・・当時の欧州は寒冷期だったので、この衣装を纏い多くの女性が結核やインフルエンザで命を落とす。
P125:「ア・ラ・ヴィクティム(犠牲者風)」
結核化粧」
ボッティチェリ『ホロフェルネスの遺体発見』
「トルソ」
P137:31×24センチと小型なので、額縁に飾られたのではなく、毛箱か皮ケースに保存されたらしい。・・・ネクロフィリアが密かに愛でていたか?
ブレイク『巨大なレッド・ドラゴンと日をまとう女』
P143:ウィリアム・ブレイクは完全な狂人と看做されていた。
カルパッチョ『聖ゲオルギウスと竜』
P159:発注者は「同信会」
ミレー『晩鐘』
P164:原題は『アンジェラスの鐘』
P166:ボードレールは−ミレーの画中人物たちが「此の世の富を奪われた哀れな我々こそが、この世を富ませているのだ!」と常に主張しているようで嫌だ、と公言している。
P170:ミレーは農民画家になる以前は「女性の裸しか描かない画家」と看做されていた。時にはポルノそのものを描いていた。
ドラローシュ『レディ・ジェーン・グレイの処刑』
P178:当時は斬首は高貴な死であり、絞首されるのは下々の者。
P180:王族貴族の斬首は「熊いじめ」と同じくらい人気の見世物。
ホガース『精神病院にて』
P194:この時代、「人間」の範囲はずいぶん狭く、その分「狂気」の範囲はユッタリ広く取ってあった。
ブリューゲルベツレヘムのえい児虐殺』
P203:コピーの存在と赤外線写真によって改竄が判っている。
ヴェロッキオ『キリストの洗礼』
P218:レオナルドに描かせた天使を見て、ヴェロッキオは筆を折る。
ビアズリーサロメ
フェン・エイク『アルノルフィニ夫妻の肖像』
P240:「全身像」は斬新で革命的だった。
P243:膨らんだ腹部は妊娠ではなく、当時流行したファッション。
P245:「左手結婚」−身分の違う同士の結婚。貴賤結婚の場合、配偶者にも生まれた子にも相続権はなく、生活保障のため、初夜の翌朝、それ相当の財産が分与される。『夫婦の肖像』はそうした「朝の贈与」のシーンか?。