選挙の経済学

選挙の経済学

選挙の経済学 ブライアン・カプラン
序章 民主主義のパラドックス
P10:民主主義において、多数決ルールにまず代わりうるものは、独裁制ではなく市場である。
第一章 集計の奇跡を越えて
P16:(集計の奇跡)−多くの場合平均とは月並みなことであるが、しかし、意思決定の場合には、それはしばしば卓越したものになる。
P18:100人中99人は愚かな人たちで、彼らは無作為に投票するなら・・・100人の中のただ一人の情報通の投票者に、全エネルギーを集中させなければならない。・・・勝利するのは、十分な情報を持った多数派の支持を得た人である。
P19:「集計の奇跡」−・・・つまり、99%の愚かな人と1%の賢い人をミックスさせることで、純粋な賢さと同じくらいの混合物を作り出せるのである。殆ど完全に無知な選挙民が、完全な情報を持っている選挙民と同じ決定下せるという、・・・
(ジェームズ・スロウィキー)牛の体重を予想する競技において、787の予測値の平均は、僅か1ポンド足りないだけであった。
P20:・・・賭け事は、スポーツから選挙まで、あらゆる事象の結果を言い当てる最高の予報士である。
P24:反市場バイアス、反外国バイアス、雇用創出バイアス、悲観的バイアス
P28:フレデリックバスティア『経済的詭弁』
(信念に対する選好)
P34:ギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』
(合理的な非合理性)
P37:「フルプライス」=ある行為による明示的・暗黙的なものを含めた総費用。
P38:・・・すなわち、現実の政治状況では、イデオロギーに忠実であることの価格は、殆どゼロに等しいということである。つまり、我々が予想できることは、人々は何が彼らに最善と感じさせるにせよ、政治的信念への欲求に「十分満足」しているということである。結局、そうすることの負担はゼロである。・・・イデオロギーへの忠誠に伴う私的費用と社会的費用は、容易に大きく乖離しうる。
(政治的非合理性の実態)
P43:利益集団は一般の人々が無差別と感じるぎりぎりのところで要求する。
第二章 系統的なバイアスを含んだ経済学に関する思い込み
P53:「啓発された選好」
P57:最も目立つのは、より知識のある人ほど、より選択支持派であり、ゲイの人権擁護派であり、学校の祈りの時間に反対する。・・・すなわち、政治知識は機会の平等への支持を高めるものの、結果の平等への支持を低める。
(反市場バイアス)
P63:すなわち市場メカニズムがもたらす経済的便益を過小評価する傾向・・・人々は企業の動機の方に目を向けて、競争がもたらす規律の方は無視する。・・・反市場バイアスは、一時的かつ文化的な意味において、特殊な異常行為なのではない。それは人間の思考パターンに深く根付いたものであり、何世代にも渡って経済学者を落胆させてきたものである。
P64:ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス「現実を否定しても役には立たないが、アメリカの世論は市場経済を拒絶している」
P67:「人は自分自身の利益追求によって、実際に社会の利益を意図して促進しようとする場合よりも、しばしばより効果的にそれを促進することになる。公共善を取引しようと装っている人が、そんなによいことをしている訳ではない」企業利潤は移転のように見えるが、社会に便益を与えている。企業の慈善活動は社会に便益を与えているように見えるが、せいぜいのところ移転に過ぎない。
P68:イスラム社会では、利子に対する反発が、近年また力強く復活してきた。
P69:汚染に付けられた価格は純粋な移転ではない。それは、できるだけ安い費用で環境の質を改善しようというインセンティブを生み出している。
P73:経済学者は価格がインセティブを与えるかどうかを論争しているのではない。・・・殆ど全ての経済学者は、市場メカニズムの核心となる便益を認めている。彼らは、その限界的な便益についてのみ合意していないのである。
(反外国バイアス)
P75:すなわち外国人との取引による経済的便益を過小に評価する傾向。
P77:・・・20世紀の最後の10年間においても、学生に教えるべき本質的なことは、ヒュームやリカードが教えた洞察力といまだに同じである。・・・貿易赤字は自動調整されるものであり、貿易からの利益は、相手国に対して絶対的優位さを持った国に帰属するわけではない、ということである。(ポール・クルーグマン
P78:「比較優位の法則」−アメリカ人が車5台か小麦5ブッシェル、メキシコ人が車1台か小麦2ブッシェルを生産できると仮定するとき、アメリカ人は両方の仕事で多くの生産こなすことができるが、特化と貿易によって生産を増やすことができる。一人のアメリカ人が小麦から車に仕事を変え、三人のメキシコ人が車から小麦に仕事を変えるならば、世界の生産は2台の車プラス1ブッシェルの小麦だけ増加する。
P79:・・・18世紀の重商主義の背後にあった根本的な誤解は、外国人への過度な不信感であった。さもなければ、なぜ人々は「地域」「都市」「村」「家族」ではなく、「国家」から流出していくお金ばかり気にしていたのだろうか。貨幣と富を一貫して同類のものと考えていた人は、高価な硬貨が全て流出してしまうことを恐れていたのだろう。実際に、人間は今も昔も、他国が関わってくるときのみ、貿易収支に対する誤謬を犯してしまう。誰もカルフォルニアネバダの間や私とタワーレコードの間の貿易収支のことを、気にかけたりしない。この誤謬は、全ての購入を費用と勘定するのではなく、外国からの購入のみを費用と勘定するところからきている。
・・・労働の取引はモノの取引とほぼ同じである。特化と交換によって産出物は増加する。例えば、メキシコ人のベビーシッターを雇うことで、熟練したアメリカ人の母親を仕事に復帰させるといったことである。
・・・移民が稼ぎを全て新しい居住地で費やすならば、貿易収支は変化しない。
P81:ポール・クルーグマン「非常に多くの政策知識人が想像している様な国家間の対立が蔓延しているという事実は、幻想である。しかしそれは、貿易からの相互利益の実現を台無しにしてしまう幻想である」
(雇用創出バイアス)
P83:労働は保存するよりも使った方がよい、と人々は文字通りに信じることが多い。労働を節約し、より少ない人数と時間でより多くの財を生産することは、進歩ではなく危険であると広く認識されている。これを「雇用創出バイアス」、すなわち、労働を節約することの経済的便益を過小に評価する傾向と呼ぶことにしよう。非経済学者が仕事の破壊と見るものを、経済学者は経済成長の本質と見る。
アラン・ブラインダー「・・・社会的に便益をもたらす方法とは、GNPを拡大することである。つまり、実現されるべきもっと役に立つ仕事が存在するということである。しかし、各労働者が非生産的になるよう策略することで、仕事を作り出すことも可能である。そこでは、同じ量の財を生産するのに、より多くの労働が必要とされるだろう。しかし、それは貧乏に向かう道である」
P85:1893年サイモン・ニューカム「・・・産業の有益性と重要性は、働くという行為につながる雇用量によって測られるべきであるという考え方は、人間の性質に特に深く根付いたものである。」
P87:1800年代、食糧確保には全体の95%の農民が必要だった。1900年代に40%に、今日では3%である。・・・畑で長時間働く代わりに我々が手にしたものは、いつでもどこでも発生する雇用の泡を受け入れることで可能となった、財・サービスという資産である。
人々は論理的に考えるよりも、同情的に感じるのである。
P88:より少ない労働者で目標を達成できる方法を見つけ出すとき、社会はいつも豊かになっている。何故なら、労働は価値ある資源だからである。
P89:バスティア、一人なら雇用創出バイアスに囚われることはけっしてない−自分自身の労働がそれによって占有されていたことを確認するために、自分の労働を節約してくれた手段を破壊し、土地の肥沃さ中和し、手に入れた財を海に戻すべきである、と結論するような孤独な人間は一人としていないだろう。・・・つまり、労働の節約は進歩以外の何ものでもないということを、彼は理解しているだろう。
・・・しかし、交換によって、真実に対する我々の単純な見かたは邪魔される。社会においては、必然として起こる労働の分業によって、ある事に関する生産と消費は同じ人によって実行されない。各人は、自分自身の労働をもはや手段ではなく、目的とみるようになる。
もしあなたが洗濯機を贈り物にもらうならば、その便益はあなたのものである。あなたは同じ所得でより多くの自由時間を手に入れる。もしあなたがリストラに遭うならば、便益は他の人々の所へ行く。あなたはより多くの自由時間を手に入れるが、あなたの所得は一時的に落ち込む。ただし、いずれの場合においても、社会は価値のある労働を大切に使用することになる。
(悲観的バイアス)
P91:それは経済問題の厳しさを過大に評価し、経済の過去、現在、そして将来の成果を過小に評価する傾向のことである。
P98:ジュリアン・サイモン
第三章 米国民と経済学者の経済意識調査(SAEE)
P107:SAEEは無作為抽出の1510人の一般人と250人の経済学博士号取得者を対象に、面接調査をもとに素人と専門家の系統的な信念の違いを検証するという目的で、理想的に設計された調査である。
「利己的バイアス」、「イデオロギー・バイアス」
P113:「啓発された一般人」の信念−「もし経済学博士が、経済状態および政治的なイデオロギーについて平均的な人と同じになるならば、どのように考えるか」ということである。
P122:[質問6 教育や職業訓練が不適切] 経済学者は最も深刻な経済問題であると見ている。主な理由は、教育には正の外部性があり、それが市場のアウトプット水準を最高水準よりも過小にする。
[質問7 福祉サービスを受ける人が多すぎる]福祉の受益者は人口のうち最も未熟な人たちで、彼らが失業していることによる経済的損失は、それほど大きくない。 
P126:[質問10 政府による企業への規制が多すぎる]経済学者にとっては5番目に大きな問題だが、一般人には3番目に小さな問題である。一般人は最低賃金から農業補助金や薬物検査に至るまで、個別の規制には好意的である。全体的な価格統制のような極端な政策手段であっても、不人気ではない。一般人にとって、規制の主たる費用は、厄介な書類手続きや役所仕事のようなものである。・・・経済学者は、多くの規制が現存する企業を競争から守ることにあると知っている。
P136:[質問22 貿易協定]非経済学者は「輸出は善で、輸入は悪である」と考えがち、経済学者は「輸入は善」であり、一方向の自由貿易は双方向の保護よりも好ましいと考えているので、一般人のように相反した微妙な感情を持つことはない。
P138:[質問23 最近の大企業の人員整理]経済学者は人員整理は祝福すべきものであるとさえみている。
P140:[質問25 貿易協定が国内での雇用創出につながるか?]非経済学者は、貿易協定全般について、何を考えるときも国内雇用への影響はマイナスであると確信している。
P142:[質問27 最近のガソリン価格をどう思うか?]「高すぎる」も「低すぎる」も同じ反市場バイアスによる。
P156:SAEEを見るかぎり「集計の奇跡」は時々起こる程度である。
第四章 古典的公共選択と合理的無知の欠陥
P175:アンソニー・ダウンズ『民主主義の経済理論(1957)』により、合理的無知(この用語を用いたのは10年後のゴードン・タロック)は政治経済学の基本原理となった。−「政治的情報を獲得することは非合理的である。なぜなら、情報から得られる利得は低いので、時間その他の資源に関わる費用を全くもって正当化できないからである」
P177:1950年代から60年代にかけて、経済学者は不完全情報を「市場の失敗」と呼んだ。しかし、市場の失敗に最も適した例は、民主的な政府ではないだろうか。・・・合理的無知は、私が古典的公共選択と呼んでいる知識人の正統的な考え方の基礎として、定着してきたのである。
P179:5−幽閉された投票者
P181:利益団体は採算が合うが故に、多くの情報を持っているので、「便益の集中と費用の分散」となる。マンサー・オルソンの言うところの「少数派による多数派の搾取という法則とも言える傾向が存在する」のである。・・・経済学者が理論構築を停止して政治情勢を吟味している間に、特殊利益はあらゆる政府の政策の背後に身を隠してしまった。・・・合理的無知による社会的害悪は、それを防いだからといって、個人的な利益をもたらすものではない。
「合理的期待」
P191:「私を事実で混乱させるな」
P192:人々は自分の世界観を犠牲にすることなく、世界を知りたいと思っている。その最初の動機だけを考察しても、それは我々の思考方法に歪んだ情報をもたらすだけである。
P198:4−売り手の情報優位性が大きいほど、消費者の商品への需要は小さくなる。非対称情報は、買い手と同様に売り手にとっても不都合なのである。同じ原理が政治にも当てはまる。・・・すなわち、疑問を感じたときはノーと言えばよい。投票者は、同じ疑問を持っている政治家に支持投票することで、信用できない政府への責任の割り当てを減らし、そこに委ねるお金も減らすことが出来る。従って、一般的な話とは対照的に、非対称情報はより小さな政府をもたらすことになる。
P200:「実績投票者の理論」
P205:7−「ドナルド・ウィットマンのフォーク」、「無知」ではなく「極端な愚かさ」が問題である。
P211:リチャード・セイラー「あなたは、洗練されていても明日に間違っている方を望むだろうか、それとも、下品でもだいたいにおいて当たっている方を望むだろうか」
P214:・・・人々が全般にわたって非合理的であるならば、あらゆる形態の人的組織を縮小すべきである。代替的なシステムの相対的利点を検討しても、ほぼ同じで意味は無いからである。
P219:15−内省は、あなた自身の選好を知るためのよい方法である。・・・人間は嘘をつくが、同様に嘘を見抜くこともできる。
P228:3−・・・ある行為の社会的費用は大きいが、その私的費用は無視しうる程度・・・
P231:「合理的な非合理」−合理的無知においては、人々が真実を追究することに飽きてしまうと仮定されるのに対して、合理的な非合理性においては、人々は積極的に真実を避けると主張する点にある。
P233:合理的な非合理性から出てくる一つの興味深い予測は、インセンティブが変動することで、人々は矛盾する見解の間で揺れ動く。・・・保護貿易主義者は消費者から見て都合の悪い経済理論を、無視する。突然、製品の価格と質がより重要だと言い、国産品が擁護する。同様に、賃金の上昇が失業を増加させるという見かたを否定する。
P237:「ステップ1−5」
P238:ジョン・ノス『男の宗教』
P242:ヒンドゥーの「SATI」(未亡人の火葬)は最も目立つベンガル地方でさえ10%程度。
P245:ソビエト経済の分野で、マルクス主義は、物質的な成功報酬によって労働者を動機付けることを忌避してきた。しかしながら、原子力計画においては、スターリンブルジョワ的な常識を嗜好して、教義を捨て去った。
P249:6−歴史を振り返れば、人頭税は投票者数を大いに減らしている。・・・大多数の人は一票は重要でないことを無意識のうちに知っている。
P250:民主主義の制度的構造によって、政治的な非合理性は、最終的な意思決定者である有権者にとって「自由財」となる。つまり投票者は、認識上最悪であることに基づいて行動する、と予想すべきなのである。ル・ボンの言葉を借りれば「とりわけ、論理的な思考と批判的な精神を欠き、短気で、騙されやすく、単純に」行動する存在なのである。
P256:7−自分の信念にお金を賭けることになると、信念をさほど過信しなくなる。
P260:「表現的投票モデル」
P262:選挙において、私的関心は相当に弱められることになるが、純粋に表現的あるいは象徴的な関心はかなり増幅されることになろう。・・・
「市場行動においては休止している考えが、投票所においては重要になる」
P264:表現的投票の論理によって、国民投票では容易に戦争が選択されることがある。「個々の投票者は、一人一人が決定力を持つならばそんな選択をしない筈なのに、全体としてみれば合理的に戦争を選択してしまうのである」
第六章 非合理性から政策へ
(同質な投票者の非合理性)
P275:6−・・・選挙民が、自分以外の人々の運命には無差別で、自分の物質的な自己利益を最も満たす政策に投票するならば、比較優位原則が我々に示唆することは、全ての政治家が真っ先に関税率0%の立場を採ることである。
(異質な信念が存在する場合の非合理性)
P279:現実世界では、全員一致は民主主義ではなく、紛れも無く独裁制の兆候である。実証的に意味のある民主主義モデルは、意見の相違を許容しなければならない。
P282:3−もし人々が狭い意味での利己的な思いから票を投じるのであれば、誤解による政策への影響を解消する簡単な方法は存在しない。ただ幸いなことにこの問題を解決する必要はない。なぜなら、経済学者や一般人の両者とは違って、投票者とは利己的な動機に基づいていないからである。利己的投票者仮説あるいはSIVHは偽りなのである。
P284:SIVHという壊れた時計でも、一日に二回は正しい時刻を指す。・・・SIVHは、喫煙といった平凡な問題には最も威力を発揮する。
P285:殆どの投票者は、利己的な動機を自分のものだと認めない。彼らは国にとって最善であり、倫理的に正しく、社会正義とも合致する政策を、個人的に支持するという。同時に彼らは、他の投票者、すなわち彼らと対立する人たちだけでなく、しばしば同意する人たちをも、極めて利己的だと見ている。典型的なリベラル派の民主党員は、自らの良心に従って票を投じており、金持ちだけを気にかける意見を異にする人たちには、疑問を呈すると言っている。しかしこの投票者は、利己的な動機が仲間の民主党員にもよく当てはまると考えている。つまり、「なぜ低所得者の人々は民主党に投票するのだろうか。それはもちろん、自分自身の状態を改善するためである。」典型的な投票者の動機に関する典型的な投票者の考え方は、精神分裂症のようなものである。つまり、私は利己的に票を投じたりはしないが、殆どの人はそうしている。
P287:・・・人々は消費者としてよりも投票者として利己的ではなくなる。食べ放題のビュッフェ・レストランでの夕食のように、投票者は道徳的正直さを「自分自身にたらふく食べさせる」と予想できる。ここでも、投票と普通の買い物を類似させることは、大いに誤解のもとになる。
P290:合理的な利己主義のもとでは、私的利益と公共利益を統合する誘引が働く場合に限り、社会的に最適な結果が得られる。合理的な非利己主義のもとでは、この統合は不必要である。人々は自らの目的として公共利益を追求する。・・・非利己的であることは、民主主義のパフォーマンスを悪い状況からいっそう悪い状況にもさせる。非合理的で非利己的な投票者は、おそらく非合理的で利己的な投票者よりも危険であろう。もし非利己的な投票者が世の中を誤解するならば、間違って導かれた合意にいとも簡単に行き着いてしまう。非合理性は彼らに間違った方向を指し示す。そして非利己的であることによって、彼らは行進する隊列を保ちながら、目的地へ迅速に接近できるようになる。対照的に、利己的な投票者が世の中を誤解するならば、意見の相違が存続する。彼らは一緒に行動をとることはないし、あるいは全く動くことも無い。
 結論として、SIVHの失敗は民主主義をより悪化させている。投票者の非合理性は、人間の利己心によって通常保障されるささいな小競り合いでは和らげられない。人々が政治領域に参入するときには、まさに個人的な利害が脇に押しやられるが故に、知的な間違いが直ちに愚かな政策へと開花してしまう。
P300:「思考の罠」→貧困国は貧しいまま
「選択的参加」少なくとも中位投票者の思い違い(信念)は中位の非投票者よりも少ないのである。
第七章 非合理性と供給サイドからみた政治
P318:「単純に覚えなさい。貴方がそれを信じているなら、嘘にはならない」正直に間違いを犯している政治家は、より誠実であるが故に、より誠実なように見える。
P325:サリドマイドハンセン病の治療薬になる。
P336:経済的バイアスは新聞や雑誌が普及する前から広く知られていた。・・・偽りの情報が狙い通り機能するためには、投票者は非合理的であるだけでなく、正しい方向に非合理的でなければならない。
P340:「非合理性と政治広告と特殊利益」
P343:ポール・クルーグマン「投票者たる者は、知性的見える候補者を直感的に嫌っている。ましてや算術をさせようとする候補者はなおさらである。」彼らは、雇用整理への不満は間違っているとは政治家に言われたくないし、伸縮的な労働市場がもたらす長期的利益についてのニュースを見たくも無いのである。
第八章 市場原理主義VS.デモクラシー原理主義
P349:「市場原理主義
P352:市場が巧く機能しない領域「公共財、外部性、独占、不完全情報」は経済学者の自己批判によって、内部から当然の様に湧き出てきた産物である。市場の尊厳に背いた罪で破門になるどころか、目新しい市場の失敗を発見した人は、専門家としての評価を受けてきた。
 経済学者の中で「市場原理主義者」と言える人は、極めて稀である。経済学領域の中心に位置していないだけでなく、「極右」派の中でも稀である。
P364:政策分析市場=PAM−「口で言うだけでなく、実際に賭けてみろ」
P373:直感とは相容れないが、非合理的な認識・非利己的な動機・許される程度の裁量、の三つが組み合わさると、「少なくとも三倍は悪くなる」
P377:「無能力が排除の原因とされるのは、投票の結果を受け入れなければならないのは、その人だけではないからである。・・・」
P378:私の分析から示唆される穏健な改革は、投票率を上げるための取り組みを減らすかあるいは止めることである。教育と年齢の二つの指標が、投票率を予測するには最も適している。前者は経済リテラシーの最も強い予測指標であるが、後者はそれとほとんど関係がないことから、中位投票者の経済リテラシーは中位の市民のそれを上回っている。もし、「投票推進」キャンペーンによって100%参加が達せられるならば、政治家は現在よりももっと著しくバイアスのかかった投票者の気を引くために、競争しなければならないだろう。
P379:スティーヴン・ピンカー「生徒に学ばせるべきは、彼らが生まれながらに持っている認知ツールとは最も異なる認識能力である。それは経済学、進化生物学、確率統計」
P385:「私は正しく、あなたは間違っている」という言い方は完全に失敗するが、「私は正しく、この教室の外にいる人たちは間違っている。さて、あなたは彼らのようになりたくはないだろう」という言い方をすれば、けっこう効果がある。
P386:フレデリックバスティア「ろうそく業者の嘆願」−我々は外国の競争相手との熾烈な競争に苦しんでいる。相手はどうやら灯りの生産において、遥かに進んだ環境で仕事をしているらしく、とてつもなく低い価格で国内市場を席巻している。相手が現れると、我々の売り上げは無くなり、全ての消費者が相手の方へ向いてしまう。・・・この競争相手とは、他ならぬ太陽である。−
P387:赤字貿易−「私はウェグマンズ・スーパーマーケットとの取引で大きな赤字を出している。つまり、私はたくさんの食料品を買っているが、ウェグマンズは私から何も買わない。しかしそこには心配するようなことは無い」
P390:回避できる2種類の誤りに傲慢と謙遜がある。前者は、専門家に力量以上のことをさせて失敗をもたらす。後者は、専門家に傍観させたまま、誤りを氾濫させる。
終章 愚かさ研究の薦め
P394:6−「あなたが合理的でなければ、悪い政策を手にするだろう」と脅かすのは、合成の誤謬である。民主主義によって、人は何の費用も負担せずに、非合理的な信念がもたらす心理的便益を享受できる。・・・貧しい国の市民は豊かな国へと移住することをしばしば熱望しているが、彼らが豊かな国の政策を模倣することを公約した政党に投票するかというと、それは稀である。
P397:ティムール・クラン=キャス・サンスティンの「利用可能なカスケード」モデル
P400:社会科学は、愚行が蔓延している政治のような領域でさえ、あらゆるモデルは「愚か者がいない話」という誤った拘りによって、袋小路に入り、道を見失った。
「愚者が賢者から学ぶ以上に、賢者は愚者から学ぶ」社会科学の賢者たちは、愚か者や愚かな行為を見て見ぬふりをすることで、自分たちが学び進む道を自ら閉ざしてきたのである。