聖書アラビア起源説

聖書アラビア起源説

聖書アラビア起源説
P24:伝統的な母音付加法に由来するマソラはヘブライ語が日常語として使われない時代に再建された。
P28:創世記31・47−49 「証拠の石塚」
P29:申命記26・5 ”祖先がアラム人であると追懐”
P45:イエメンのヒムヤル王国:ハスモン朝には不都合なユダヤ教の王朝
P55:レバノン杉はアシール地方の「セイヨウネズ」:レバノンスギは建築・造船用に不適
P56:ゼカリアはバビロンからアラビア半島西部に帰還しての失望ゆえに、半島西部の古いシオンとエルサレムからパレスチナの新しいシオンとエルサレムにその関心を向けた。
P74:アルムーサー村には当然モーセ名の住人が現存している。ジャバル・ハーディーがホレブ、ホレブから11日の道のり:申命記1・1
P78:アシールは半島全域の中で最も降水量が多い地方。
P109:いわゆる石碑は中東全域どこでも掘れば出る。発掘とその発掘品について解釈することは全く別である。
P111:1880年に発見された「シロアムの碑文」には地下水道建設の様子は述べられてはいるが、列王記下20・20のヒゼキアの建設を特定する人名・地名の記載は一切無い。類例「サマリアの陶片」
P112:1935年、1938年南パレスチナ・テル・エッドウウェイルで発見された「ラキシ書簡」
P137:ティハーマは「淵」ではなくティハーマ沿岸
P138:セム語族においては声門閉鎖音と半母音の W と Y は容易に置き換えられるから注意を要する。
P175:エズラ2、ネヘミヤ7で確認できる130の地名はアラビア半島西部一帯の村落からも(2、3例外はあるが)所在が確認できるが、パレスチナ地方で確定できるのは「10箇所」程度しかない。
P185:ソロモンの都エルサレムは二マース町の近く、サラート山脈尾根沿いに今も残る寒村「アール・シャリーム」
P186:ダビデの都ヘブロンはマジャーリダ地方の「ヒルバーン」
P212:サマリヤはクンフザ内陸地方アール・アッザルイーの「シムラーン村」、この村は今日でも山上にある。
P243:サバヤートのヤハウエ:「ガゼル」
P244:ヤハウエは本来は「山岳神」、アラビア語では「そびえる」
P245:バアル・ゼブブは ZBB から判断すると「巨根をもつ収穫の父」
P248:「ヘブルびと」は民族集団というよりも、法の外で暮らす「山賊、外人傭兵、放浪者、行商人」
P272:約束の言葉にある「エジプトの川」はナイル川ではなくて、現アシール高地のミスラーマ村に源流を持つ「ワーディ・イトウワド」あるいはジーザーン地方とイエメンとの境界線「ワーディ・リヤ」
P286:エデンの園はワーディ・ビーシャ沿いのオアシス「ジュナイナ、ラウシャーン、ビーシャ」と地名として現存する。
P289:初代カリフ・アブー・バクルの派遣軍に応戦したマスラーマ信徒のときの声は「園よ!、園よ!」