八犬伝綺想―英米文学と『南総里見八犬伝』 (Fukutake Books)

八犬伝綺想―英米文学と『南総里見八犬伝』 (Fukutake Books)

八犬伝綺想
12:『モオヴィ・ディック』かつては海洋冒険物語と捉えられ、作品に展開される鯨の分類学を<退屈で衒学的な>と非難された。
92:ハムレットは<死>を人間の限界としてではなく、自ら支配し、名誉のしるしとして捉えうるものとして把握してしまった。:ホレイショーが自害するのを必死で押し止め、「お前が死んでしまったら、僕の汚名が残ってしまう」と叫ぶ。
112:馬琴が<勧善懲悪家>でないと云うのではない。勧善懲悪を信じられる筈など無いのに勧善懲悪を標榜したこの作家ほどに、善と悪の分割が不可能であることを知悉していた者はないのである。
128:悪女・船虫のモデルは馬琴の妻・お百
170:大衆作家マーク・トウェインは<冒険物語>を望んでいる大衆に対する悪意(<冒険ならざる冒険>)を、トム・ソーヤーを通して、ただ一瞬、閃かせたのである。ゆえに『ハックルベリー・フィン』は傑作である。
174:ピカレスク・ロマン『美少年録』:これ程に不安を内包した文学は、優に近代的と称するに足る。作者がそれを近代的不安と意識していないが故に、却って読者に与える不安感は強い。
200:馬琴は自分の読者を含めた民衆など信用していない。彼の内なる怨念、世界全体に対する怨念が『八犬伝』の表ストーリー即ち、八犬士に代表される<民衆の勝利>を最終的に?覆させるべく仕組んだのである。
203:『源氏物語』では「宇治十帖」の前に「雪隠」という、巻名のみの中身の無い巻があり、ここで光源氏が死んだことになっていて、それ以前と以後の世界を截然と別っている。:第八輯と第九輯の空白で「蟹目前」が死んでいる。
226:「犀」とは谷川健一によれば、琉球で儒艮(ジュゴン)を意味するザン<津波を起す魚>と解する。
255:オイディプスも金碗大輔もこう思っていた「男の最も尊い仕事は、持っている全てを、力の全てを尽くして、人を助けるにあるのだ」と
259:里見義成が管領戦没者の施餓鬼を発議し、ヽ大法師を召し出した時に彼の怒りが炸裂する。:男は徹底的に無力であることによって父たりえたのである。
269:家督を譲る筈の息子に早逝され、嫉妬深い年上の妻と嫁の確執の中で、七十を過ぎるまで家計の為に作家であらねばならなかった。
犬江親兵衛の晴れ姿と悩まされた陰なる女性性が排除された環境が、瀧澤家の将来を託す孫太郎へ向けての<祈り>