「お墓」の誕生―死者祭祀の民俗誌 (岩波新書)

「お墓」の誕生―死者祭祀の民俗誌 (岩波新書)

「お墓」の誕生ー死者祭祀の民俗誌
12:日本の民俗事象には、伝説的説明が付加されている場合が多く、民俗事象の意味の説明とすることができない。例:正月に餅を搗かない→落人伝説
18:柳田国男の編集した年中行事資料集『歳時習俗語彙』の五二「精霊火」において各地の「迎え火・送り火」が列挙紹介されるが、書斎での文献整理によって資料収集が行われており現実の把握と分析については、論理・論証が欠如している。
柳田の『先祖の話』で「迎え火・送り火」が「祖霊の道しるべ」との理解が決定的になる。
27:盆の三日目はホトケサンは「神田・田地」出かけて不在:”盆の二日目にはホトケサンがナス馬・キュウリ馬に乗って神田へ買物にゆく”ー静岡県賀茂郡河津町見高ー、関東地方には他に「ホトケサンが田地の見回りに行く」が広く分布
33:盆棚に置かれても「先祖の位牌」と「赤飯のおむすび」は異なる儀礼の過程を動いている。赤飯のおむすびには位牌に象徴される先祖ではなく、忌避されるべき死者の霊魂が宿っている。赤飯のおむすびをめぐり「神田」や「田地」への遊行物語が付加されている。
45:遺体埋葬地点を「埋め墓」、石塔を「詣り墓」の代表は最上孝敬『詣り墓』(1956年)
58:躍動感溢れる舞(市の舞)には憑依現象ー早川孝太郎『花祭』前編(1930年)ー、「かごめかごめ」の回転と名指しも中央の子供への憑依現象を伴うものー柳田国男『小さき者の声』(1924)
61:葬列における「回転」とは遺体が墓へと移行する境界的空間・時間において、死霊を遊離させずに遺体に附着させていることを「再確認する」儀礼
71:最古の先祖代々墓:新潟県長岡市小国町法末の旧家のもので「寛政四年」(1792年)の銘「○○家先祖代◇霊塔」(◇は判読不能箇所)を持つ(写真2-12)
81:遺体埋葬と石塔建立との間には空間・時間差
81:石塔は最も古くて400年を遡らない:建立年月日が寛永・慶安・寛文など稀である。文化・文政・天保から目に付くようになる。
86:メッパジキ=目っ弾き(写真2-24)山梨県北社市須玉町小池平:土饅頭の上に割り竹を挿して割り竹から縄で石を土饅頭「すれすれ」に吊るす墓上施設。タマガキと草刈り鎌(写真2-24)
88:遺体埋葬と墓上施設の設営には僧侶は関与しない=非仏教
89:多くの葬送儀礼・墓制研究者は石塔が仏教的存在であり「石」製の「塔」婆であると主張している。ー土井卓治『葬送と墓の民俗』(1997)他
91:圭室文雄『葬式と檀家』(1999年)
92:戒名を刻んだ石塔=現代で言うところは「お墓」は近世幕藩体制の支配が生活と身体感覚レベルにまで浸透したことを示す表象。
97:沖縄・南西諸島とは異なり本土には洗骨・改葬は殆ど無い。
102:カロウトへの納骨は”墓あばき”で「非埋葬」である。過去の(普通の)埋葬には遺体・遺骨を土中に埋めたらそこを開閉したりしない。
103:表3-1:遺体vs骨、埋葬vs曝葬、石塔建立vs非建立
108:「両墓制」と「単墓制」との間には本質的な差異は無い。福田アジオ『寺・墓・先祖の民俗学』(2004年)
112:「ヒトニイク」
114:かつては布団をかけた遺体の上に「草刈り鎌」が置かれたが「刀」に変った。
埼玉県秩父郡皆野町三沢地区にはかつて「通夜が存在しない」時期があった。
128:(表3-2)墓制の型式:Y型→骨+埋+非石塔=墓上植樹、非埋葬=無墓 Z型→骨+非埋葬+石塔建立=現代カロウト
144:中江庸編『石材産業年鑑2004年版』表3:1991年:1韓国48.4%、2イタリア29%、3中国10.0%、4他6.0%、5印度4.2%、6台湾2.4% 2003年:1中国95.5%、2印度1.6%、3イタリア1.2%、4韓国0.8%、5他0.7%、6台湾0.3%
153:子供の遺体には棺桶を造ることなく、ミカン箱やリンゴ箱で代用した。
154:桂又三郎岡山県下姙娠出産育児に関する民俗資料』(1936年)「死産・早産・流産」:
156:嬰児遺体は「床下・軒下・土間・墓域・便所・川へ流す」に捨てる(埋める)が、床下・軒下・土間など「屋内」が多い。
158:ムソバとは「他国の変死人及び犬猫等総て其場限りにて後を弔はないものを葬る場所」で、墓上施設には「オーカミハジキ」(図4-1)、近世江戸の非檀家における「投げ込み」と同様。
161:『岡山県下姙娠出産育児に関する民俗資料』「間引きの方法、処置」:間引いた嬰児遺体は川・海に流す。間引きは「カニトリヤル、カニヒロイニヤル」と表現した。間引いた際に他人に子供の所在を聞かれたら「シジミヒロイニ、イキマシタ」と答える。
164:『岡山県下姙娠出産育児に関する民俗資料』「アトサン(胞衣)の処置」:胎盤は「土間」か「床下」に埋める。
167:『岡山県下姙娠出産育児に関する民俗資料』の民俗事象は「日本列島全域と差異」は無い一般的なことである。
170:1955年当時出産の際に産婆=免許を持った助産婦を呼ぶのは「難産」のときぐらいで、普段は隣家のオバサンに頼んで子供をとりあげて貰っていた。
171:出産時の汚物は床下に流す。
174:嬰児→子供→大人 と遺体埋葬地点も墓域に移行し、石塔の浸透も高くなるのが、火葬とカロウト式石塔が普及する以前の墓制の現実。
175:「○○○○孩児」は例外:嬰児には戒名は無い(非檀家)
200:御霊信仰とは、非業の死者の祟りを恐れて、その敵が死者を祀りこめることだが、自国の戦死者を祀っている「靖国神社」を御霊信仰とするのは似て非なるもの。