修験道入門 (1980年)

修験道入門 (1980年)

修験道入門
20:役行者修験道の開祖と仕立てたのは大峯修験道(吉野と熊野)が全国の修験道界を制覇した時代があったからである。
22:外従五位下韓国連広足(からくにのむらじひろたり):典薬頭
24:役小角は合薬の罪に触れたのを、韓国連広足が密告者として伝えられる。
27:『日本霊異記』では役小角の修験力の源は神仙術(道教)と山岳修行(神道)と密教孔雀明王の呪法(仏教)にあったとする。
29:五百虎伝説の倭語をもって質問した虎は神仙術を修行する道士、私度で大陸半島に渡った民間宗教者。
32:古代史が扱う支配者側の大陸文化導入は、模倣と猿真似か見栄と贅沢の為で、庶民大衆とは無縁であった。対して民間宗教者は私費で大陸に渡り、密教陰陽道を学びこれを日本の民族宗教と融合して修験道を作り上げた。これらを役小角の入鮮、入唐、渡天説話は暗示している。
35:空海の渡唐は「虚空蔵求聞持法」探求で、遣唐大使の薬剤師との説もあるが、筆談通訳である。渡航費用の援助者は「光明婆塞」という檀主(パトロン)『三教指帰
37:渡来僧と狩人の各々を開祖とする縁起は、山神を祀る原始宗教者である狩人が法華経密教真言)を取り入れて山伏となったことを語っている。
60:立山修験道:修験の山は狩人の様な民間宗教者が開いた後に、天台や真言の僧が入って横取し、狩人から変質した山伏を従者や雑役者にする。この横領者の親玉が「康済律師」
64:「神奈備の御室の山」
71:近江八幡市「伊崎不動の竿飛び」−崖の上から湖水に突き出した竿先に桶を綱で提げて、下を通行する船から食物を引き上げた。
鞍馬寺の畚下し(ふごおろし)」−鞍馬詣のとき七曲坂で畚(もっこ)に銭を入れると引き上げられて、代りに火打石が下ろされてくる。
72:雑部密教こそ真の「宗教」で、正統密教というのは雑部密教金剛界胎蔵界曼荼羅によって、体系的哲学的意味を付与したにすぎない。
79:『本朝神仙伝』泰澄が稲荷社で夢に「観世音」が衆生済度の為に「稲荷大明神」として現れたのは、本地垂迹の本地物というのも「山伏の託宣」に拠ってあらわされたことが解る。
81:古代、中世の関東平野を耕作する人々にははるかに仰ぎ見る日光連山に霊験あらたかなる神の実在を認めていた。日光修験は江戸期に東照宮造営(権力の保護を受ける)から弱体化する。
89:第一史料といわれる同時代お記録すら、文字で書かれたものは無批判に信じられない。公式記録でもあてにならないことは議事録にある大臣答弁を見ればよく解る。
92:勝道の二荒山登頂:湖岸から2484mの山頂までの垂直高度1200mの登頂に「14年間」かけた。「中禅寺湖」そのものが崇拝対象であり山頂を踏むのは忌避されていたことを物語る。
95:得度名を貰ってからも生涯「沙弥名」を用いた優婆塞・山伏・聖は、形式的な受戒や官度を屁とも思わない。わざとらしく「勝道を巌朝、空也を光勝、一遍を智真」といったりするのは、贔屓の引き倒しで本人の意思ではない。
107:僧や山伏が執心や妄執があれば、天狗になる。
108:『大山寺縁起』角磐山の山号を説明する箇所の「密勝仙人・仏覚仙人」は仏教が入る以前の大山には神仙術の修行者がいたことの主張である。日本の山岳宗教が仏教と結びついて修験道が成立する以前は日本人の「山神信仰」を持つ狩人と、大陸の不老長生と医薬の知識を持つ仙人が霊山・霊場を占拠していた。
『大山寺縁起』は壮大な構想で仙人の出現を説いたが、文献主義・合理主義の歴史家からは荒唐無稽にして妄誕なる「俗書」と誤解されたのである。
113:寂山は嵯峨天皇の転生:この為、戦前の『日本霊異記國學院大學修練報国団学術部編)』などは”本条は本文妄説なれば此を省き、題目及び訓釈のみ存す”と寂山説話が削除され、本文全編が「妄説」となっている。
127:富士山は中世では祖霊のゆく他界:黒駒に乗った聖徳太子も最初は黒駒のみの絵だった。
137:万巻上人が鹿島神社神宮寺を建てた:山伏が神宮寺の建立に関与した。
140:本当の託宣は偶然そこに居合わせた「在人」に突然憑くもの。
神宮寺建立の宗教的意味は日本の神は仏に比べれば、人間に近い罪業の身なので、神の滅罪の為の大般若経法華経を読む為の寺。
154:山の女人禁制は「月水の穢」がその理由
181:夏衆はもとインドの夏安居(げあんご)、山伏は山籠生活中は自由人だが、麓や都会に出てくると大寺院に隷属して堂衆=雑役者・ガードマンであった。
200:シュールハンマー『山伏』:1596-1615年の耶蘇会士の通信
208:林実利は衰えた修験道の再興を試みる。
221:「兎の神事」
222:羽黒の神領は東国33ヶ国、熊野は24、彦山は9カ国:西国から九州を分けて、羽黒優位を示した。
228:比叡山根本中堂の「不滅の法燈」:インド仏教は「拝火教を外道」としているが、日本は火を神聖視する。
231:山岳宗教の聖火は最も尊い、山神の霊のシンボル
232:火を「しる」(統治する、管理する)から「ひしり」:「ひじり(聖)」→仏教伝来で「優婆塞」→平安以後は「山伏」
259:・・・どうせ仏教とか宗教の教理というのは独断(ドクマ)なのだから、その先達の精一杯の理解で充分である。
260:悪人正機浄土真宗の専売ではなく日本仏教そのものの本質
267:日本人の被り物は原始に遡れば、俗も聖も、神官も、貴族も庶民も「鉢巻」
269:仕事着はツーピース、晴着はワンピース
283:輪袈裟の祖形:日本の「襷」→「紐袈裟」→「輪袈裟」
299:山神に記紀神話の神々を当てたのは後世神道の作為
306:医王寺にある笈は「箱笈」で源平時代には無い。山伏の実用の笈は竹笈か板笈
314:箱笈=携帯厨子
335:マタギ=股木
346:山伏身分の咒師が鬼面を被って踊る「鬼走・鬼踊」を誤って「追儺会」と呼ぶ寺は無知の表明で、インド・中国の仏教を少しばかり知って、足下の日本仏教を全く知らないことに起因する。
347:数珠は念仏や陀羅尼を数えるもので擦って鳴らすものではないと僧は教えるが、日本の原始宗教者は呪具として鳴らしたのである。
352:悪魔退散に読む「大般若経」の名が追い払われる鬼の名になった。
401:江戸時代に入り全ての山伏が天台・真言に属する様になっても村落散在の末派修験は、神社の別当(僧)と禰宜(神主)を兼ねる二枚鑑札が多かった。
406:お年玉:正月三が日には雛僧から召使まで一同に集まり、院主から一人一人に白木の箸で菓子と銭をはさんで渡す。
408:「内的外的」の的と読まれたのは「酌」の草書体の字だから、六月祭の「上酌下酌」にあたる。この誤解から弓を引く儀式が加わった。
418:歌舞伎の「六方を踏む」は咒師が「東・西・南・北・上・下」の六方に反閇を踏んで結界した。