寺社縁起からお伽話へ (宗教民俗集成)

寺社縁起からお伽話へ (宗教民俗集成)

寺社縁起からお伽話へ
15:日蓮において古代仏教の下部構造を構成した聖・優婆塞の庶民仏教が顕在化した。
20:招ぐ術(おぐわざ)=巫術=わざおぎ
26:旧仏教側の高僧は和文が少ないので、法語文学は新仏教側にかたむく。
『伽藍縁起井流記資財帳』
43:「浦島太郎」も丹後の宇良神社の縁起であったことは明らかで、これが詞書を失った『浦島神絵巻』として伝わっている。
神話(蓬莱山、常世)→寺社縁起→唱導説話(「提婆達多品」の”龍宮”)→お伽話(龍女)
48:現在採集される昔話は、元は整った原話の断片昔話か、異なる原話の破片を集めた複合昔話。
54:江戸時代には、昔話の出典を中国・インドに求めようとして苦労している。
柳田国男氏もお伽話の「伽」は通夜や眠いのを我慢することで、そのため話がうまれたというが、人々が集まるの意である。
・『筥根権現縁起絵巻』
67:死ねば善光寺に行く←唱導の物語が現実の信仰を生む。
万巻上人の三所権現には名称は無い:比丘形(法体)、婦女形(女体)、宰官形(俗体)
69:現存の『神道集』は語り物(和文)を漢文体に書き改めたのが南北朝時代。物語的縁起を歴史的縁起と認めさせる意図だったかもしれない。
71:継子談は記紀風土記には出てこないが、11世紀の小説には登場する。鎌倉時代以降の家族制度に変化があったか?。八世紀以前の古代家族制度が「対偶婚家族」で一人の妻の死後は、その遺児を亡き妻の姉妹が子として養育したためか?。
*対偶婚:一人の女性の結婚には、その女性の姉妹もともに婚姻関係に入る。
79:奇跡や霊魂不滅を信じないで、訳のわからぬ煩瑣哲学をもてあそぶ格好のいい仏教は、哲学であって宗教ではない。
84:護法童子=使役霊:常人の目に見えない修験者の従者で、「飛鉢」はこの護法童子のはたらき。
111:「奇跡的縁起」は平安か鎌倉初期に成立したが、「人間的縁起」はそれ以後の唱導の必要から創作された。
119:民間説話は庶民信仰の裏付けをもって成立し、伝播する。
121:「奈良絵本」
128:中世武士は地方の田堵名主より成立した階層。
133:蟇目鳴弦法=治病(とくに精神病)と除災の祈祷に用いる修法:『日本書紀舒明天皇九年(637)条に上毛野形名の妻が「鳴弦」して蝦夷を追い払った故事がある。弓矢の鳴音による鎮魂呪術が芸能・伝説生んだ。
138:古代の鎮魂呪術における「足踏=だだ」が密教の「あ・ばん・うん」の三足、または陰陽道の五足と九足反閇にととのえられ、「磐古、大王、堅牢、地神、王」の五文字または「臨兵闘者皆陳列在前」の九字を唱えて足を踏む型ができた。
139:「飛礫の印地、冠者原」で飛礫の術を武技とする暴力集団。
156:唱導の目的は教理伝道ではなくて、あくまで造寺・造仏・写経等の作善の勧進であるから、大衆動員を目的に庶民に迎合する形をとるのは当然である。
174:金鷲優婆塞こそ良弁の前身:東大寺はもとは金鷲寺と呼ばれ、やがて金鷲寺羂索院と名を変え、大仏造立とともに東大寺となる。
177:山椒大夫の正体は『山荘太夫考』(「定本柳田国男集」第7巻 筑摩書房)で明らかになっている。
192:平家物語「横笛の事」の滝口入道時頼の実在を(この事件で出家したのを当時の公卿日記を使って)証明したのはパリ大学の日本中世文学の専門ジャクリーヌ・ビジョー
198:「身の代の衣一襲」
210:「四天王寺の引導石」:この上に棺をのせて無常院の鐘を三度打てば、聖徳太子が影向して亡者を引導する。墓地・葬場入口の棺置石や蓮台石の原型。
(解説)
215:「昔話の神話零落説」:柳田国男が提示したが、国際的視野にたてば、一国民俗学に拘った柳田の偉大な幻想。(福田晃)
『絵巻物と民俗』角川選書