「日本は降伏していない」―ブラジル日系人社会を揺るがせた十年抗争

「日本は降伏していない」―ブラジル日系人社会を揺るがせた十年抗争

「日本は降伏していない」 ブラジル日系人社会を揺るがせた十年抗争
33:ハッカ成金と養蚕成金:ハッカはニトログリセリンにハッカを混ぜると威力は300倍になる。<ドトール高岡。
P35:沖縄出身の在郷軍人渡真利成一「赤誠団」:「敵性産業撲滅運動」狙いを繭と薄荷につけた。日本人成功者への「嫉妬」
P41:元陸軍中佐吉川順治:耕地から逃げ出した日本人の多くが家族の労働と小資本で可能な洗濯業を営む
P48:収監中の吉川順治の仮釈放に金ではなく女を要求されたので、日本料亭の女をお国の為と口説いて、人身御供になって貰った。ー朝川甚三郎の証言
P66:混乱に乗じて個人的怨恨を果たした事件もある。
68:「議事録から日本の敗戦と無条件降伏の文言を削除せよ!新聞に日本の敗戦報道をさせるな!」
P69:オズワルド・クルス騒乱:
P77:臣道聯盟幹部とテロ関係者の国外追放令は1946年8月11日に出たが実施はされず、1958年8月8日仮釈放の81人と収監中被告387人は時効理由で可罰性消滅の宣告を受ける。23人を殺害したテロ犯たちでも最長2年3ヶ月の収監で晴天白日の身となった。
P83:川崎三造、三原清次郎、
P95:永野勘太郎
P123:国会議員の中村嘉寿、鶴見祐輔はカチ組相手の講演でお布施を稼いだ。
P134:「日本人は三人集まると日本人会をつくる」
P135:鋤も引けないインテリ:就職難の昭和初期中学は出たが大学に行けず、就職先もないが軍隊は嫌という若者がブラジルへ「自由渡航
P140:鈴木暢幸
P144:「夜這いはええがナモーロ(恋愛)はあかん」:人前で異性といちゃつくのを不道徳と考えるのに、レイプは是認する明治・大正生まれの農村出身日系人1世の道徳観。
P150:ジャニオ・クアドロス
P151:ヒデオ・オナガ”二世をそっとしておいてもらいたい”
P154:黒石時報 対 三浦日伯
P157:日本移民の多くはコーヒー農園で働く契約をしてブラジルに来たにもかかわらず、船がサントス港に着くと、予定したコーヒー農園へは行かずに、日本人の移住地へ入って最初から自作ないし借地農になる道を選んだ。三浦日伯は日本移民のあまりの利己的な態度を強く非難した。
P162:大使館付武官陸軍大佐中西良介
P169:1951年「中央公論」6月号にブラジル現地座談会「在伯邦人社会と移民問題」が掲載。
P184:明治元年の海外移民者はハワイは天竺と信じて船出した。
P197:太平洋戦争の始まった1941年からの5年間ブラジル経済は空前の活況を呈した。ブラジル生活の長い移民1世は経済成長は戦中ではなく戦後だというが、それは戦時利得を得たという後ろめたさがあるからである。
P205:ブラジルに印刷機が入ったのは19世紀になってから、伯剌西爾は1945年当時情報通信分野では酷く遅れた後進国
P213:講談社「キング」は移民に人気、鶴見祐輔も戦前はキングの有力執筆者。
P220:ブラジルの日本移民はカチ組マケ組も区別無く、思想分野は「講談社」、情報分野は「ラジオ・トウキョウ」
カチ組に共通しているのは「自分たちは日本人は一等国民でブラジル人は三等国民」という優越感、ブラジル人を見下す態度では相手からの情報が入ってくる筈も無く孤立化する。異文化への適応性が微塵もなかった。
P223:多くのカチ組もマケ組に会ったが、両者は思想的には殆ど変わらない。
P224:「日の丸の下で働くことを夢見ていた1世は老齢で帰国を断念し定住しつつある。ブラジルで生活したかった2,3世は仕事を求めて日本に行き、いつしか子供の教育のため生活のため、日本に永住せざるを得なくなった。」
半田知雄「移民の生活の歴史」、「ブラジル日本移民史年表」、「ブラジル日本移民八十年史」