名画の言い分 数百年の時を超えて、今、解き明かされる「秘められたメッセージ」

名画の言い分 数百年の時を超えて、今、解き明かされる「秘められたメッセージ」

名画の言い分
・美術は見るものでなく読むものだ。
P51:古代オリンピックでは、全裸に「肉体の誇示」と「日焼け止め」にオリーブオイルを塗った。
P53:アルカイックスマイルは息をしている(生きている)のを表現している。『瀕死の戦士』は瀕死(まだ生きている)だから笑っている。
P56:パトス=悲しみや苦しみをぐっと堪えた厳しい表情:紀元前5世紀当時、男が葬式で無くと罰せられた。(ギリシャ悲劇にも通じる)堪える方がかえって悲しみ・苦しみが伝わり、感動的で美しく理想的であるとする美意識。
『ミロのヴィーナス』はヘレニズム期のローマ人の注文
P61:ギリシャの理想主義は領土拡大期に民族・言語・文化が交差すると、誰もがもっている感覚に訴える表現に取って代わる。
P63:ギリシャ彫刻が追及したのは男性美の理想像。例えばオリンピックの勝者像は「記念碑」だから、当人には似ている必要はないので美しい彫刻ばかりになる。対して、ローマ彫刻は先祖崇拝の「遺影」であり、故人を偲ぶ為に写実的な彫刻となっているので美しい人ばかりではない。
P64:ギリシャ彫刻には体毛が描かれなかったので、ローマ人は公衆浴場で脱毛に励んだ。
P64:『コンスタンティヌス帝』彫像の視線が上なのは、自分にも上(神)がいるという表現。
P68:新プラトン主義=神は光だ:「一者=神」は無限の光、その一者と合一することが、哲学の目標。
P72:「国境線による国家」を意図したシュジェールはサン・ドニを「フランスの精神的中心地」と位置づけ、愛国的感情を引き出すことに成功した。
ギリシャ・ローマ時代の人文学、美術、神々を「再生=リナーシタ」する。
P79:西洋美術で描かれる神々は「目印」で誰だか解るようになっている。
P81:煉獄=イエス・キリスト以前に生まれ天国に行けない(自分たちの先祖が地獄にいるのは困る)ギリシャ・ローマ人の為に考案したのが煉獄。免罪符も地獄や煉獄の概念が明確になることで売れてゆく。『神曲』はトスカーナ地方の方言で書かれたのでダンテは国民文学の祖とも呼ばれている。この流れは全欧州に広がり、各国で国民文学が発達した結果、お国言葉が整理され、各国語が確立した。
P83:牧畜業の父親はいったん仕事で野山に出ると半年は家に戻らないが、商人・職人の父親はいつも近所にいるか、夜には帰宅したので、父親の存在が大きくなった。→15世紀には養父ヨセフの格が上がる。
ミケランジェロ『聖家族』後方の裸体男性群はギリシャの異端時代を表している。
P85:『アテネの学堂』は「理性の道」でも信仰の道でも天国に着けること表現している。
P87:中世の欧州人には”自分”という意識は無い。自意識に目覚めるルネサンス期まで肖像画は登場しない。中世には賤しい職人階級と見なされた彫刻家や画家から芸術家を目指す者が現れる。当時、芸術家と認められる為には、作品を文章で裏付けるなど、知識と崇高な精神が求められた。全てに精通した万能の人と見なされなければならず、知性と精神が作品に反映されて始めて芸術品と認められた。
P91:中世ゴシック時代の教養とは「神学」に通じていることで、これは聖職と王侯貴族の独占、市民にはよほど有名なテーマでないと理解不能
中世には「この世の中は悪魔がつくったような罪深いところ」が、神秘主義の台頭で「この世は全て神がつくり給うた」に変化する。
P94:『メロードの祭壇画』の鼠落としー「主の十字架は悪魔の鼠落としなり」
P99:15世紀のネーデルラントでは精神を病むのは悪魔に魅入られたと考えられていた。『最後の審判の祭壇画』で女は地獄行きが圧倒的に多い。
P101:『ポルティナーリの祭壇画』ー登場人物のサイズが統一を欠いていたのが「衝撃」だった。
P102:ローマ教会が腐敗して頼りない存在になったときに秘密結社やオカルトが流行る。
『愚者の船』のメッセージは悪徳と貧困が放蕩につながるのだから「病人・物乞い・娼婦・盗賊・酔っ払い・失業兵士・貧しい農奴」を永遠の航海に出してしまえ!であり、『快楽の園』は人間皆地獄行き
P107:真正面向きの肖像画は中世からの伝統ではイエス・キリストのみが許されている。デューラー『自画像』はあえて真正面を向いている。
P108:プロテスタント偶像崇拝と共に発展した絵画や画家を敵視、代わりに芸術の方向は音楽に向けられる。ルターも音楽肯定。
P110:ピーテル・アールツセン『肉屋の店先』はプロテスタントから見れば静物画だが、「放蕩息子の帰還」、「エジプト逃避」と慈悲・暴食への道徳的教訓が示されている。
P113:ブリューゲル自身は宗教的立場を表明していない。
P114:16世紀では自分がプロテスタントに傾倒していても、自身が属する地域共同体や支配者がカトリックなら、カトリックを装うしかない。
P115:ヴァニタス=虚無感
P116:クラースゾーン・ヘタ『静物』ーこのテーブルで楽しんだ人が突然去らねばならなかった。
P119:レンブラント旧約聖書を主題としたのはユダヤ人への同情から。15から17世紀に至るまでのネーデルラント宗教画の一連の流れから、レンブラントは少々外れてはいる。
P122:肖像画のルーツは古代戦勝記念に鋳造されたコイン:ルネサンス期には未だギリシャ・ローマ期の彫像が発掘されていないので。
P123:愛による結婚など一般的では無く、誰もが生きる為に一緒になった。
P124:肖像画は横顔描写(プロフィヒール)から:古代コインの肖像が皆横向きなのは、その方が簡単に表現できたからである。古代コインを参考にしたルネサンス画家は、肖像は横向きに描くものと思った。それが、変化するのは15世紀のフランドル地方で、『メロードの祭壇画』は「4分の3正面像」
P125:ヤン・ファン・エイク『赤いターバンの男』ーこの時代の宮廷文化人は好んでターバンを巻いた。
P128:『モナ・リザ』はスフマート技法、遠近法背景など目の錯覚まで利用した「テクニック」が完璧なまでに美しい1枚。
P132:『ヘンリー8世』は真正面向きー俺が一番偉い。
P140:『トウルプ博士の解剖学講義』ー28歳の窃盗犯の処刑された1月31日の午後に描かれた「集団肖像画
P141:芸術アカデミーの基準からすると「ロココ印象派アール・ヌーヴォー」は肯定的には評価されない。推奨されるのは「ニコラ・プーサン」で彼なくしてはフランス美術は語れない。
P142:歴史画は画家、注文主、鑑賞者の教養が問われるもので、フランス人に「ルーブルはつまらなかったけれど、オルセーはよかったわ」と言うのは自分の無教養を公言するようなもの。『サビニの女たちの略奪』ー国の為には、ある程度人民の犠牲は必要。
P153:18世紀のフランスでは女優は売春婦と同義語:『薔薇を持つマリー・アントワネット』−娘の肖像画を見て母マリア・テレジア
「まるで女優の肖像画だ!」と嘆いた。
P155:『サラ・ベルナール峠を越えるボナパルト』ー実際にはラバに乗って越えた。
P160:ケーンズボロ『ブルー・ボーイ』ー指をしゃぶる癖のあったジョナサン・バトールの(画では隠している)指はいつも「真っ青」が画名の由来。
P169:守護天使のカルトが盛んになるのは16世紀から17世紀
P170:現在、ローマン・カトリックは、天使の存在を認めてはいるが、これの階級に言及しない。名前で呼ばれるのもミカエル、ガブリエル、ラファエルの3人のみである。
P178:女神はヌード、聖母は着衣。「神話画に天使」、「宗教画にキューピット」の組み合わせを登場させてはいけない。
P183:オランダ美術商が登場したのは、「市民向け絵画のプレタポルテ文化」が誕生したオランダの「バブル期」
P186:ベルサイユ宮殿は寓意の世界:宮殿自体が「アポロ神話プロジェクト」、宮殿内には寓意化された絵画で埋め尽くされていた。
P190:市民階級は一過性の流行に走り勝ち:当時フェルメールは売値が高すぎて全く売れなかった。レンブラントもキャリアの後半には「時代遅れ」と飽きられていた。
「理想的風景画」=歴史画と風景画が融合されている。
「グランド・ツアー」
クロード・ロラン自筆の素描集『真実の書』は贋作対策。
P213:「風景式庭園ランドスケープガーデン」は広大な敷地内で表現する人工的な庭園。ー庭内の遠方に風景として羊を飼うが、羊が邸宅に近寄らぬよう途中で空掘りしたり、川をせき止めて池にしたり、美しくない村があれば移転させるなどして理想を実現した。
P215:産業革命後勃興したイギリス人中産階級がスイス、イタリア、南フランスと旅した結果、以前にはただの片田舎が観光地に変わった。
P226:エドウアール・マネは印象派美術家達と深く交流があったが、「印象派展」に一度も出品しなかったし、彼自身、印象派と同一視されるのを嫌った。
P228:古典美術と現代美術との境界線は主題ではなく表現方法の重視
「色彩分割法」:
P234:ルノワールは職人階級出身で、他の印象派画家等と違い生活の為に描いた。
P239:エドガー・ドガが描いた当時のバレリーナの身分は低く、バレエ劇場とは裕福な男が愛人を探しに来る場所だった。
後期印象派の特徴は印象派には無い思想。