墓の民俗学

墓の民俗学

墓の民俗学
民間信仰分析の方法論)
P7:「髯籠の話」と尾芝古樟(柳田國男ペンネーム)「柱松考」との確執の事実経過は池田弥三郎日本民族文化大系2 折口信夫』(1978年講談社)に詳しい。
P12:『後狩詞記』ー「ヤエジメ=焼占」、「シヲリ=栞」
P24:「門松考、左儀長(ドンドヤキ)考」等、出口米吉の研究は時間的事実だけでなく、その研究テーマにおいて柳田國男民俗学に先行している。
P30:出口米吉と柳田國男の両者とも、J・G・フレイザー金枝篇』が揺り椅子の人類学と酷評される様に、しょせん書斎の民俗学で、折口信夫のような参与観察から展開される分析が欠如。
(墓上施設論)
P40:歴史的にも、葬送儀礼的経過においても、遺体埋葬と石塔建立は一致していない。
P42:井阪康二『卒塔婆考』、大間知篤三『墓制覚書』:石塔建立は早くて13年忌、多くは17年忌
P46:枕石と石塔は両者の性格が異なる。石塔は「石の卒塔婆」であり、「墓上施設」の一つに含めるのは避けるべき。
P47:枕石は西日本、三角錐形から吊るした石は東日本
P50:枕石は河原・海で拾ってくるが、その際に一度手にしたら、変えてはならない。ー山形・新潟に分布する33回忌の「イシボトケ」の本質も枕石と同じ墓上施設
P57:最上考敬『詣り墓』で遺体ではなしに、霊魂の祭祀を重視、その霊魂を抽象化された祖霊であるとして、その祖霊祭祀対象の「代表物」を石塔とした「両墓制」の解釈が完成された。
P62:井之口章次『仏教以前』は”・・・火車も山犬も、(祀ってくれる子孫のいない)亡霊の仮想の姿で、墓上施設の「はじき竹」は実在の動物に対してではなく、邪霊の(遺体への)侵入を防ぐ「呪術的な効果」を期待した工作物。しかも、その形態を遡及すれば、逆に邪霊を迎え招くしつらえと類似”とするのに対して、中田太造・五来重は死霊封鎖の構造物で、原始古代風葬の残留とする。
P63:土井卓治『葬送と墓の民俗』
P64:ウツボの中に吊るされた石は群馬、新潟、山梨、山形、福島
P66:”縄が切れて石が落ちたら仏も土に帰る。”
P69:服部幸雄『さかさまの幽霊』:幽霊はなぜ提灯からでるのか、の問いに、提灯を霊魂を込めることが可能な「ウツボ」と結論している。
P73:「来訪神」の依代としての石は、ウツボに封鎖された状態の死霊を鎮めている。
P75:”日本の祖霊信仰とは仏教の浸透によって民間に発生してきた仏教民俗にすぎず、後発的な一定程度の合理的思考を持つ信仰形態であった。・・・・封鎖されるべき死霊とは異なる次元において発生してきた、近世的あるいは近代的観念。・・・・墓上施設と石塔が時間的・空間的に分離していたように、本来は死霊と祖霊とは異質の観念であり、来訪神による死霊の封鎖と鎮めこそが、仏教民俗である祖霊信仰の発生に先行する観念であったように思われるのである。”
柳田民俗以来の固有信仰(祖霊信仰および氏神信仰)は典型的仏教民俗であり、固有といえるものではなく、誤謬である。
76:”民俗学が本来は民俗という人間社会で最も自律的かつ主体的で、非国家的生活世界を明らかにする学問であるにもかかわらず、支配イデオロギーの枠内における社会現象(祖霊信仰)を、自律的存在とみなしその中心に置いてしまっていた。”
85:井之口章次『日本の葬式』
86:カシャ=火車は近世のある時点で形成された仏教説話
96:葬列の主な順序要素は 先松明→花籠→野位牌→遺体(遺骨) で花籠は来訪神の依代
99:「ノンノサマ ノンノサマ アキノヒガンニ マタゴザレ」
P100:キュウボチ(旧墓地)
P102:盆の期間に、家のオモテ(入り口)で焚かれる火は、「無縁仏」の火と解釈する伝承は数ある。
P105:蓮池勢至『真宗と民俗信仰』に「無墓制」の研究がある。
P106:「オオヤキバ」ー民俗的火葬は(体内の)水分を下方に落とす蒸し焼き様な方法が一般的。
P110:遺体の最終処理地が「墓」であり、土葬では遺体埋葬地点、火葬については遺体火葬地点である「火葬場」が墓にあたる。
(最終年忌塔婆論)
P144:柳田國男『先祖の話』の思想は日本人の「七生報国」の精神の起源を理解することにあった。
P148:「庚申塔婆」」窪徳忠庚申信仰の研究』「附章 庚申塔と塚」:庚申信仰に関連して立てられる生木の塔婆「庚申塚」が、最終年忌における「梢付塔婆」と類似
P153:関東では最終年忌を33回忌として杉の梢付塔婆が殆ど、西日本が50回忌が最終年忌で「角塔婆」が多い。
P166:常緑樹=梢付塔婆、落葉樹=二股塔婆
P172:「髯籠の話」ー「ショウリョウ(精霊)」は折口信夫民俗学の中で完成されてくる「まれびと(神)」の対概念としての「せいれい(精霊)」とは明らかに異なっている。「無縁の精霊」という言い回しから、「ショウリョウ(精霊)」とは祖霊というより、高灯籠・切籠灯籠に来臨する「多様な霊魂」。
P175:「イカキンタマ」=高灯籠、盆灯籠
P177:高灯籠における先端の「梢付」は祖霊以外のなんらかの「神」を招いていると理解する方が妥当。
P182:オデーロバンバア・オデエロウサン(風祭)→「柱松」
(台風を伴う様な)強力な神が、新盆の死霊やそれに付随してくる餓鬼等の邪悪な霊魂を鎮めている。
P184:梢付塔婆の立てられた地点の多くは埋葬地点
P185:遺体埋葬から歳月は経ているが、最終年忌塔婆も「神の依代
P185:神野善治『人形道祖神』ー杉の葉がふんだんに利用されている。
P187:常緑樹の「梢付」、この杉の葉こそが来訪神を来臨させ、災難をふりまくムラ内部の「精霊」を鎮ていることを示す象徴的モノではなかったか?
P188:「イシボトケ=石仏」として利用される石それ自体に禁忌・神聖な力が認められる。
柳田『石神問答』、折口『石に出て入るもの』、野本寛一『石の民俗』、『石と日本人』、C・アウエハント『鯰絵』、宮田登高田衛監修『鯰絵』
P189:神がこの世に出て来る一つの形、常世からの来訪神:「石に出て入るもの」ー”常陸国大洗・磯前社の由来:暴風雨の夜明けに「オオナムチ」と「スクナヒコ」の姿をした石が海岸に現れた。”
P194:犬塔婆(動物塔婆)はムラ境という村落空間の境界に位置している。
P195:猫塔婆:伊勢崎市波志江町では猫が死ぬと三本辻に埋葬し古いしゃもじ(木製おたま)を立てた。
P199:境界とは神を来訪させる祭祀空間:ムラの中の氏神がムラの災厄を除去できるなら、ムラの境へ出かけ祭祀を行う必要は無い。
P204:墓地はムラ境や家々が密集する集落から見て「周辺部分に位置」していることが多い。墓地がムラの中心であることは、そこが祖霊祭祀の場所であるからではない。墓地が来訪神を祀り、遺体と死霊を鎮める「祭場」であるからである。
P209:庚申信仰は仏教や修験道などと習合する中で、日本のすみずみに浸透した。農神というよりは、災難除け・疱瘡除けで、その裏返しの商売繁盛・長寿などが期待される。祖霊信仰は前面には出ていない。−「なくし物をしたときに庚申塔を縄で縛れば出て来る」
「夏越の大祓えの輪」
P216:一部の伝承者解釈「神になる、先祖になる」をもって「祖霊への昇華」とするのは早急、「土になる、仏が終わる、無縁様になる、自然に帰る、流れ仏になる」等を祖霊信仰と理解するのは難しい。むしろ、死者は最終年忌塔婆によって異なる存在になり、祭祀の対象とならないことを説明している。たとえば、「神になる」は仏式祭祀をもはや行わないことを反語的に示しているし、一見正反対の表現「生まれ変わる」と「土に帰る」は祭祀の終了を意味すると理解すれば、最終年忌塔婆における多様な伝承者解釈は解決できる。
P218:伝承者解釈の語りの意味は、伝承者自身による民俗事象に対する「知的整理あるいは知的合理化」で、民俗の形成順序としては、二次的な成立である。最終年忌塔婆ついて言えば仏教民俗として形成された後の段階での、それに対する知的整理として「生まれ変わる」等の伝承者解釈が発生してきた。
柳田民俗学が「固有信仰」とした祖霊信仰は「基本的な民俗事象」の分析によるものではなく、「二次的な民俗事象」を解釈した結果に過ぎない。
”人の一生のモデルは、単純に直線的であり、死の部分については死語供養によって、その直線が終了し無に帰るだけのものであるように思われるのである。”
P225:梢付塔婆の建立は、遺体埋葬地点に常緑樹を植樹しそれが成長した姿を、人為的に現出させているもの。本来は、自然に遺体埋葬地点で成長する筈であった常緑樹の人工的な再現。
”仏教浸透以前には、民俗的葬送儀礼と墓制において、繰り返し行われる年忌供養のような死後供養は存在せず、遺体埋葬の段階で墓上施設を設営すれば、葬送儀礼は終了していたのではないか。
民俗的信仰における植樹は、死霊の鎮めで死者が対象であっても、常に「生者」に災厄が及ばない為の「現世利益」で、これが、元来は「死者の成仏を願う」為の仏教的供養が、死者の鎮魂として認識され、更には供養によって生者が徳と得を蒙るかのような認識、そうした生者中心の思考として把握され、異質である筈の遺体埋葬地点における植樹と仏教的装具である塔婆が習合する結果をもたらしたように思われる。”
(位牌論)
P268:跡部直治『位牌』ー位牌の原型は中国宋代の儒教禅宗に拠る皇帝牌で、鎌倉・室町期の禅宗寺院で生前供養(逆修)のために始まった「逆修位牌」だったが、やがて、死者供養の順修位牌へと変化した。
P272:位牌が民間に浸透するのは石塔の建立と同じ時期か?
(内位牌、寺位牌、野位牌、紙位牌、門牌)
P282:門牌・野位牌に石をブツケテ川に流す(祀り捨てる)「ハマオリ」はハマオキ(浜置)として 山中笑『共古随筆』に
P291:ハマオリは忌明けの三五日か四九日が本来的な姿
P293:早川孝太郎『稗と民俗』:「ハマ」が浜という物理空間ではなく、キヨメを行う儀礼的空間と理解されている。
P199:静岡中部にはハマオリ=ユミアケに「草履・足半」を流す民俗は濃厚に存在する。
P306:ハマオリにおける位牌への投石儀礼の意味は、石に依った来訪神によって、位牌に具象化された死霊を鎮めること。位牌が祖霊の象徴であるがゆえに、祀りの対象とされているのではなく、「祀り捨てられる」ことに本質がある。
P310:位牌に書かれる「霊位」の文字は「死霊」を示す。つまりは死霊を示すモノが位牌。
P311:五来重『葬と供養』「位牌」では塔婆と位牌の違い自覚しつつも両者を「梢付塔婆」で一致させている。しかし、仏教装具としての位牌は常緑樹との習合があったとは思われない。「梢付」のような形状を持たず、材質にも決まりは無いからである。
P312:仏教の教義では、死霊は供養の対象であり、持続性が期待されている。しかし、民俗では供養の観念は存在せず、死者と死霊は畏れ、忌避し、鎮めなければならない故に、位牌に石を投げて倒す等の「祀り捨て」があったのである。
P325:来訪神に祖霊的性格を認めてきた、従来の一般的定説の方に無理がある。