なぜ悪人を殺してはいけないのか―反時代的考察

なぜ悪人を殺してはいけないのか―反時代的考察

なぜ悪人を殺してはいけないのか
『日本の敵討ち異相』
P33:「復讐」は遺族の感情の満足の為でなく、被害者本人を代理して行われるべき・・・
田中伊佐治
P51:親鸞「わがこころのよくて殺さぬにはあらず」
共同体による無頼漢の処刑ー『稿本 自然真営道』平凡社東洋文庫、341頁
落語「らくだ」、歌舞伎「髪結新三」、デレク・フリーマン『マーガレット・ミードとサモア
P61:魯迅「眉間尺」、「犬・猫・鼠」 網淵謙錠『斬』 安達正勝『死刑執行人サンソン』
P98:西尾幹夫『国民の歴史』ー”周囲の予想を裏切り、大変に広大で立体的な歴史の過程をもたらした。ただ危険視するのではなく、このことは正等に評価すべきである”ー米本昌平、12月27日「論壇時評」
北一輝「乱臣賊子論」
P105:マッカーサは”天皇は日本統治のために「六個師団」に匹敵する利用価値があると見て取った”
亀井文夫監督『日本の悲劇』
ユリウス・クルト:大正期に写楽を評価
・「今上天皇」は重言、「天皇陛下」の呼称が定着するのは昭和になってから、「天皇陛下」、「今上天皇」等と現在の天皇を表現するのは「不敬表現」である筈。
P147:『こころ』は漱石作品としては二流の小説で、「乃木殉死」は漱石の保身の為の作為に過ぎない。
P152:皇統が大きく変わったときには「し号」に「光」がつく。→光仁、光孝、光格、光厳、光明、崇光(後花園は例外)
摂政宮裕仁は「光文」号をして北朝正当を宣言しようとしていたか?
P159:『菜の花の沖
P170:長尾剛ー『武道初心集』が正統的な武士道書であって、『葉隠』は武士道の異端である。 
P174:常朝が侮蔑した「藝能」というのは「武藝」
P176:魂の問題としての恋愛:ルソーとゲーテが作品に結晶させ、西洋の辺境としての米国で真面目に受け止められ、近代日本がそれを輸入したに過ぎない。
P177:三島由紀夫は己の同性愛と天皇崇拝の基礎づけに、『葉隠』を誤読し続けているばかりである。
P177:三島の”『葉隠入門』は前後撞着、誤謬に満ちた酷い本で、こんなものが英独仏伊西国語に訳されているなど、国辱であると同時に、いかに日本文化が誤解されているかの証左であろう。”
P180:”徳川武士は女に本気で恋をするなどというのは恥ずかしいことだとしか思っていなかった。”
渡辺京二『日本近代素描1 逝きし世の面影』
P196:”現代は、せいぜいが後期近代と言えるだけであって、・・・”
ハンス・ペーター・デュル『裸体とはじらいの文化史』
P206:ルイス・フロイスは9歳で葡萄牙宮廷に仕え、イエズス会に入り、16歳で宣教にゴアに渡り、その後日本に来て、西洋に帰っていない。:”彼等は、自国の下層民の生活をしらないか、知っていても、自国の中流階級の性道徳を、日本の下層階級のそれと比較する過ち、無意識的欺瞞によって陥っていないだろうか。”
酒井邦?『言語と脳科学