日本売春史―遊行女婦からソープランドまで (新潮選書)

日本売春史―遊行女婦からソープランドまで (新潮選書)

日本売春史
滝川政次郎『遊行女婦・遊女・傀儡女』、『遊女の歴史』
P18:ブロニスラウ・マリノウスキー『未開人の性生活』
P21:あまりマリア・ルス号事件の意義を過大視すべきではない。
P23:西洋ではユングは学問扱いされておらず、オカルトの一種と見られている。ヘロドトスは「歴史の父」である同時に「嘘つきの父」ともいわれており、記述は疑問視されている。
「デーヴァダーシー」、伊勢神宮の古市遊郭坪内祐三靖国』、伊波普猷ー沖縄のズリ←「女郎(じょろう)」の読みが沖縄語で「ズリ」に訛っただけ、
P28:神社と売春が相携えて発達した不名誉を覆い隠すために、売春の起源は宗教的なものであるという説が拵えあげられたというべきだろう。
P36:『楊氏漢語鈔』、白昼遊行する者を「遊女(うかれめ)」、夜を持ってその淫奔を発する者を「夜発(やほち)」という。
「辻捕り」=ナンパ
P38:『水鏡』恵美押勝藤原仲麻呂)の娘は千人に輪姦、『将門記平貞盛の妾も輪姦
P52:アジール論は網野善彦の新説ではなく、国史学者・平泉澄が戦前に提唱し、戦後に皇国史観の保持者として平泉は学会から追放されるが、左翼の網野がこれを復活させた。「苦界」=「公界」
P56:佐伯順子『遊女の文化史』:佐伯の依拠したユング派のエスター・ハーディング『女性の神秘』も、エリアーデは「オカルト」である。
P58:論旨の「密輸入」:『中世の非人と遊女』での「聖なるもの」は『遊女の文化史』主題の無断借用。
P59:貞操観念の肥大が売春の隆盛を招く:素人が無償のセックスに容易に応じないから、中世の遊女、近世以降の遊郭が栄えたのである。
P62:遊女・傀儡の階層による相違ー1989年、豊永聡美「中世における遊女の長者について」(中世日本の諸相 下巻)
P64:後白河・後鳥羽のもとの「藝能サロン」、この両者院政期は特殊。
P69:源平時代は、中世以前、遊女が最も活躍した時代だったかも知れない。
漢語における「俗」の対語は「雅」
P82:佐伯順子ユング派の信仰を日本の遊女研究に持ち込んだ。
P88:「辻子君」は立君とは対照的に、屋内で待機する遊君で、徳川期の「辻君」と混同してはいけない。
「御陣女郎」
P93:民俗学の資料は口承なので、徳川期に「歩き巫女」と名乗る娼婦が居たことが分かっても、それが室町期に、本物の女勧進者から発生したかには確証がない。
P94:沖浦和光ーサンカは徳川後期、飢饉により発生した流民。
P98:『日本霊異記』中巻第十三縁「愛欲を生し吉祥天女の像に恋ひて感応して奇しき表を示す縁」、『今昔物語集』巻17の45
「曲舞」は奈良・大和で「声聞師」、京都で「散所非人」といわれる藝能民集団に属しており、・・・芸を見せ、ついでに春を売るというやり方は、とくにその藝が美貌や若さを売り物にする場合、必ずついてまわった。・・・この切断に成功したのが男の「能楽」で徳川幕府の保護下に純然たる藝能民となったが、下層の歌舞伎役者は明治期にいたるまで、「役者買い」という、男女、同性異性を問わない売春を裏の仕事としていた。→森律子が帝国劇場専属女優となった時、卒業生名簿から除かれ、弟が自殺したといった藝能人蔑視は、藝能と売春の根深い関係が重要な一因。
上村行彰『日本遊里史』、明田鉄男『日本花街史』
P109:日本の藝能史においては、名前と人物のジェンダーが必ずしも一致しない。
江戸の「風呂屋」は湯女のいる店で、銭湯は湯屋といった。
水茶屋:色茶屋、「散茶女郎」
P134:天保の改革での徹底した私娼狩りは、前近代的な性の体制の変革で、明治政府を先取りしている。
P135:1774年の洒落本『婦美車紫市鹿子』「遊婦の譜」の性交はイザナキ・イザナミ、男色は弘法大師以来は「洒落」である。
「楊弓場」
丸山遊郭の「日本ゆき。唐人ゆき、オランダゆき」
P140:1796年「油屋騒動」
飯盛女は公文書上「食売女」
武陽隠士『世事見聞録』
P148:娼婦を正妻にしたのは(著者の知る限り)山東京伝と坪内雄蔵(逍遥)のみ
P149:日本の近代はそれまでに蓄積されていた「近代化」の火薬に西洋文明が火をつけたに過ぎない。仮に西洋との遭遇がなくとも、別の形で発火しただろう。・・・人々は近世文化の性的頽廃に既に嫌悪を覚えており、廃娼も恋愛思想も広まったのである。
P152:1900年2月、大審院判決で「坂井フク」の勝訴から、娼婦の自由廃業運動が全国的な盛り上がりを見せた。
明治33年4月名古屋で廃業を希望する娼妓愛之助こと「藤原さと」が楼主相手に訴訟を起こして勝訴。
伊藤野枝
P160:花街=かがい
中村芝鶴遊郭の世界』
P164:自由恋愛や恋愛結婚が勝利を収めた時、「もてない男女」という問題の発生を指摘した「高群逸枝
P168:多和田葉子オリエンタリズムの目で見れば、日本人女性など全部ゲイシャである」
1885年、静岡市二丁町遊郭、蓬莱楼の「洋装見世」は企画倒れに、日露戦争後、看護婦姿の娼妓が全国的に流行。
P175:神崎清『売春ー決定版・神崎レポート』
娼妓の搾取「娼妓4:店6」
P177:新聞の社会面記事で「飲食店従業員」と書かれる多くは「風俗店店員」のわん曲表現(呉智英『健全なる精神』)
「パンパン」WW1日本占領下のサイパン島で、現地チャムロ族娼婦を買いにゆく水兵の・・・
平林たい子
P180:廃娼運動家側のブルジョワ的偽善:神近市子「4千万の主婦の生活を守るために50万と想定される売春婦の処罰は止むを得ない」(1956年、『サヨナラ人間売買』)
P197:増田小夜『藝者ー苦闘の半生涯』
酒井あゆみ、菜摘ひかる浅野千恵
P207:素人のセックス相手がいない独身男という問題に米国人は無関心。