大本営発表という権力 (講談社文庫)

大本営発表という権力 (講談社文庫)

大本営発表という権力
P34:慰問袋に対する現地からの苦情:「内地のデパートから発送された慰問袋で、あのボール箱の8割迄は破れてしまって不完全包装の見本みたいで、・・・デパートで買った品は持ち帰って荷造りをし直して欲しい」
P50:錯誤の連環:虚報を発した大本営報道部は、虚構を信じる国民の反応を確かめて、自らもまたそれを信じる、錯誤の連環に落ち込んで、なおその錯誤を「事実」と仮定したうえで次の作戦を練ったので、作戦自体が虚構と化した。
P61:軍事行動は政治の延長線上で捉えるのが、20世紀の戦争ルール。
P62:大本営陸海軍部の作戦参謀は、情報を軽視して作戦を立案していた。大本営陸軍部には第二部(情報部)があったが、そこで収集し、分析された情報は、作戦立案には殆ど活かされなかった。作戦参謀にとって、そういう情報に動かされることは「信念のない行為」と見做されていたのである。
P65:大本営発表は「外電」として流れ、世界に大恥を晒した。
コロンバガラ島沖では米艦隊の電信射撃を受け致命的打撃。
夢声戦中日記』昭和19年6月23日の(585回「あ号作戦」)大本営発表に対する信頼感は既に無い。
P84:ミッドウェーの敗北は隠蔽工作の甲斐なく国民には漏れた。
P89:(1)国民に徹底的に嘘をつく。(2)その嘘を何度も繰り返す。(3)アメリカが嘘をつく、デマの関心をアメリカに向ける。(4)情報の発信源となる現地軍は幽閉状態にするか、それとも玉砕を勧める。(5)大本営海軍部は大本営陸軍部に正確な情報を伝えない。逆もまた成り立つ。(6)嘘を補完するために皇軍兵士の武士道を称える。
P99:昭和15年に内閣情報部が局に改組され、他官庁の検閲も一本化する。大本営(陸・海軍)報道部は出版物記事の検閲に従事することになる。
昭和27年松村秀逸『大本営発表
P128:当時の大手新聞には主体性は皆無、まるで「官報」そのもの
P134:「この恥知らずのお太鼓記者(=徳富蘇峰)」ー清沢洌『暗黒日記』
P141:平櫛孝『大本営報道部』、出版社の担当は平櫛に平身低頭している。「大本営発表の提灯持ち」が言論界に巣くっていた。
P158:日本に撒かれた宣伝ビラの総枚数は460万枚:米駐留軍調査「戦略爆撃が日本人の戦意におよぼした結果」によると「宣伝ビラの内容を覚えている」者の内、戦意が高い層ほど「ビラを信じない(47%)」、戦意を全く失っていた層は「ビラを信じた(41%)」、全体では「信じる」、「条件付で信じる」を併せると60%を越える。
山田風太郎『戦中派不戦日記』昭和20年6月17日
P166:昭和18年2月、第81回帝国議会の東條首相の弁「・・・・戦況などに関しましては、帝国の大本営発表がいかに正確無比であるかは、これは既に世界周知のことであります。・・・戦争指導上注意を要しますことは、・・・国内における流言蜚語であります。」ー嘘を共有するのを拒む国民は非国民であるー
P174:W・チャーチル『第二次大戦回顧録』ー「日本軍の計画は、非常に厳格だったが、計画が予定通りに進行しないと、目的を捨ててしまうことが多かった。これは一つには、日本語というものが厄介で、不正確なためだと考えられる。・・・」
ジョン・ダワー『容赦なき戦争』ー「・・・日本は暗号を変えるべきときに変えなかったが、・・・しばしば戦場に重要な書類を残したが、」
P178:徳川政権が長く続いたのは「戦わないという知恵」を武士階級が身につけていたからである。
P232:高見順『敗戦日記』昭和20年八月19日「新聞は、今までの新聞の態度に対して、国民にいささかも謝罪するところがない。詫びる一片の記事も掲げない。手のひらを返すような記事をのせながら、態度は依然として訓戒的である。・・・政府の御用を務めている。」
『失敗の本質』
桐生悠々『他山の石』