セイビング・ザ・サン―リップルウッドと新生銀行の誕生

セイビング・ザ・サン―リップルウッドと新生銀行の誕生

セイビング・ザ・サン
P66:イ・アイ・イの前身は1947年にはEIEと呼ばれ、3MからMTを輸入、当時の従業員は5人ほどで郷百合子が経営。1960年に業務を発明家の中松義郎に譲る。中松は従業員を350人に増やし、東証2部に上場した。1970年代半ばにテレビ局勤務の高橋義治に経営を乗っ取られる。
P182:子会社の債務37億ドルをー真剣なリストラの要求なしにー免除すると発表したとき、長銀発行株式の「2%」を取得していたマーティン・ホイットマンは告訴した。「奴等は株主のことなど全く考えていない。投資家に嘘をつき、大衆に嘘をつく、良心の呵責などかけらもない!どこもかしこも不正そのものだ!」
P183:長銀日債銀スワップ、債権、特金、デリバティブを盛んに使って、前年度の決算を実際以上によく見せかけた。その取引相手は異様にクレディ・スイスに隔たっていた。1991年1月、金融監督庁はクレディ・スイスの東京支店を捜索し、証拠隠滅容疑で行政処分を行う。事件に関与した欧米人社員は告発される前に出国した。一年後、アレン・ウイート社長とその右腕クリス・ゴージャンは(かなりの財産を築いて)退社した。「(長銀日債銀の飛ばしを手伝い)大金持ちになった外国の銀行家が何人かいた」(クレディ・スイスの幹部)
P230:金融監督庁の公式検査データが楽観的過ぎると気が付いた安斉長銀頭取は長銀売却前に問題債権の一掃すべく査定をし直すようにとロビー活動を行ったが、「金融再生委員会が同意しなかった」自民党の大物政治家や官僚たちは、体力のない借り手の名を明かして困窮させたり、他行に、”不良”のレッテルを貼る企業を増やすように圧力をかけたりするのを望まなかった。
P232:「ロスシェアリング」の要求に対して、金融再生委員会の出した代替が「解除権(瑕疵担保)=プット・オプション」:”官僚は、再び政治家を関与させるのを渋っていた。長銀の貸出の問題についておおっぴらな議論を再びやるのはまっぴらごめんだった。自民党と密接なつながりのある問題企業に関する外聞をはばかるような秘密が、数多く含まれているからだ。”
P233:瑕疵担保の条項は官僚にとって魅力的な言葉だった。国会に法律の枠組みを一から作らせる手間が省ける。さらに好都合なのは、政府は長銀売却に際して莫大な引当金を用意する必要がない。目に付く表立った直接的な公的資金の投入を小さく見せかけることができる。・・・官僚たちは(悪化した不良債権買戻しという)大きな問題点には目をつぶり、債権が悪化しないことを祈った。
P234:9月初旬、J・P・モルガンは交渉から手を引いていた。「ロスシェアリング」なら競りに参加するつもりだったが、「瑕疵担保=プット」の本当の意味を日本の大衆が知ったら、長銀の新たな所有者は反感を買うのではないかと恐れた。”プットという発想がそのものが常軌を逸していると我々は思った”(J・P・モルガン幹部)
P248:「日本企業はどこも(長銀売却に)興味を示さなかった」:「会社の”評判”に傷がつくから、関わりたくない」
P362:・・・日本人の道徳規範は相対的なものである。”善”の概念はさまざまに変化し、個人の良心は集団の力学を反映する。