大江戸残酷物語 (新書y)

大江戸残酷物語 (新書y)

大江戸残酷物語 氏家幹人
P16:海保青陵『東贐(あずまのはなむけ)』
P20:小野直賢『官府御沙汰略記』−1860年正月8日ー小野岡右衛門一家の行方探索に浅草の髪結に400文、奈良奉行川路聖莫『寧府紀事』−1848年2月ー奈良奉行所の「牢番」は、囚人の世話をするばかりか、犯人の捜査にも参加する。彼等の本職はみな髪結で「よからぬものなれ共」、奉行所の役人も容易に手が出せない。
「巾着切」はことさらそれと分かる風俗で町を闊歩している。
P22:「倒れ物」:人の家の前で倒れるが、銭をやれば去る。
「天下姥」1673年9月、現在の能代市
「内侍の局」1807年逮捕された「琴女」、もと品川の飯盛り女、鶴屋南北桜姫東文章』の桜姫のモデル。
P27:鈴木桃野『反古のうらがき』−1830年、青梅で生首を包んだ風呂敷を質入しようとする浪人
『紅葉集』
P59:遠州の村医者村尾留器(1789-1854)が患者千人の死亡に立ち会うまでに診た患者は12年で16810余人。
P64:すくなくとも、江戸後期には、不倫妻は死刑に処するとか、寝取られた武士が妻とその相手を殺害しなければならないといった約束は、ほとんど形骸化していたと言っても過言ではない。
P102:犬山市文化資料館の「血達磨」には血痕が無い。
P107:井伊直弼桜田門外の後、井伊家は「直弼」の名義で「急養子」願いを提出し、幕府は受理している。
P109:喪を隠し禄を騙し取る。幕臣社会の慣習の一つと化していたふしがある。
P125:「取捨」、「片付」
P126:久生十蘭『昆虫図』(1939)の登場人物が語る「お洗骨(おさらし)」は、遺骨を清めるというよりも遺体を早く腐らせて骨にするのが目的。
P129:回向院への「投げ込み」とは「一分と200文」で埋葬と供養を請け負う簡易で安価な埋葬の意味。
P130:貧窮層の棺桶は「茶箱」
P135:火葬の階級は「駕籠焼」金15両、「釣焼」7両2分、「瓶焼」3両、「別火屋焼」1両2分、「総火屋焼」3分で、高価な焼き方だと施主は火葬がおわるまで見届けることが許されるが、安いと焼き場から早々に追い出される。着衣の剥ぎ取りと薪の節約のため遺体を竹槍で刺して血液を除いてから着火させるのだ。
P136:『祠曹雑識』−「総火屋焼」で火葬に付されて内田屋清右衛門という町人は火葬の最中に「蘇生」したが、必死で火屋から一目散に逃げ出し、焼場の追手をやり過ごした。火葬場の掟に生き返っても「撲殺」される慣習があるからだ。−1666年『伽卑子(おとぎぼうこ)』「本朝の風俗」・・・「たとひ甦るとても、葬場にて生きたるをば戻さずして打ち殺す」
P145:哀れむべき(=憎むべき)、多葉粉(=煙草)
P149:屍一体に塩七俵
P150:『蛮蕪子(ばんぶし)』−高橋作左衛門景保の遺体は口と肛門に大量の塩を流し込まれ「塩詰」にされる。
P194:1882年11月27日、下北郡長後村に漂着した外国船の「魯領亜西亜人」は自分の肝を取り出して海中に投棄するよう、他の乗員に嘆願したのかもしれない。