ひらがな日本美術史 6

ひらがな日本美術史 6

ひらがな日本美術史6 橋本治
葛飾北斎
P17:読本とは、終始一貫「水滸伝の日本版」を基本とする。
P18:山東京伝は「お笑いの第一人者から伝記アクションに転進」、「ホラ話+歴史的辻褄合わせ+水滸伝的辻褄合わせ」=読本
P19:「ぶち壊しの予兆」は「読本の挿絵画家」
P24:「長い間北斎は下手だった」−「椿説弓張月」の挿絵から《富獄三十六景》まで26年経っている。
P25:「作者の書いたものをそのまま描くのは二流の挿絵画家。作者の書いたものを読んで、作者が書きたいと思いながらまだ書いていなかったものを拾い出し、それを描くのが一流の挿絵画家」−北斎は一流の挿絵画家として潜伏し、「錦絵作家としての再デビュー」を果たす。
P33:『絵本隅田川両岸一覧』−絵がつながって「絵巻物」になっているが、見開き毎に絵は完結している。高輪の海が「一年の始まり=初日の出」で、最後に「吉原の年の暮れ」と絵巻物の伝統(常識)を踏襲して季節が推移している。
「旭 元船乗初/房総春暁」−「子供二人で凧一つ」で「空の広がり」を感じさせている。
P43:《富獄三十六景》は「富士山の肖像画」、「六=六歌仙」がランクアップして三十六歌仙。だから46点でも三十六景。
《相州梅澤庄》は「ご祝儀の絵」
P53:『歌まくら』−「芸術か、ワイセツか」は芸術の分からない人の発想である。
P56:「ポルノの存在はどこかで抑圧とからんでいる」
古事記』天宇受売命が乳房を見せて性器を丸出しにすると、神々がどっと笑うときの「笑う」は「濃厚な沈黙」だろう。「セックス=笑い」は、「公然と罷り通って不思議がられないスケベ笑い」
P58:『歌まくら』9図−「男の覚めた目」
P59:「犯やれているからOK」で生きていた人たちは、「他人のセックスを描いた絵を眺める」ということを必要としない。
P61:和歌の古い表現「下行く水」は社会から離れた欲望世界。−「河童に犯される海女」は労働の合間に、「自分の欲望」を見ている。
(五渡亭国貞、渓斎英泉)
P68:歌舞伎は「様式的に完成する→ステレオタイプ化する→”型”になってしまったものに表現力を注入してオリジナリティを生む」というややこしい過程を取る。
P69:《追善累扇子・絹川堤の場図》
P76:鶴屋南北の生世話から下層町人を描き、階層が下がるほどに登場人物が生き生きと魅力的になり、役者は等身大になった。・・・「悪婆」とは(善悪の超えて)自由奔放に生きる江戸のコギャル−(5世)岩井半四郎は「悪婆」というジャンルを、鶴屋南北と共に完成させた。「束に立つ」→《音曲今容姿》
P77:他と共にありながら「あと一歩」の距離を置いて他と交わらない。それが都市生活者だと考えれば、19世紀の初め、江戸は十分に「大都会」だった。縮んで抑えて、きっぱりと−
歌川国芳
P79:《宮本武蔵の鯨退治》−二刀流に非ず、月代を剃っている、
「巨鯨ヨナス」
『敵討巌流島』−「月本武者乃助」
P82:昔の人は、「剣の修行に励むストイックな人のドラマ」の作りようを知らないから、「剣豪=強い」になると「凄い物を退治した」、「剣豪=立派」になると「哀れな姉妹の助太刀をしてやった」しか、伝えようが無い。・・・それで、吉川英治以前の武蔵は、名ばかり高くてドラマを持てない人物だった。
P84:鶴屋南北「鯨の無言」
P86:文化文政期の歌川派は、浮世絵ジャンルのデパートだった。そして、そのそば、葛飾北斎という「専門店」があった。
P89:・・・舞台の上で動く役者達の動きが、ある完成のの到達点に達しようとする頃、「もしかして、俺はもっと自由にキャラクターを造形してもいいんじゃないか」と気がづいた画家が、北斎の読本挿絵に影響されて、「一勇斎」の号を使うようになる歌川国芳なのである。
P101:《讃岐院眷属をして為朝をすくふ図》は「馬琴原作、北斎挿絵のより完全なるスペクタクル化」
《荷宝藏壁のむだ書》
P113:3世中村歌右衛門=醜男の名優
(京都島原「角屋」)
P117:角屋は「揚屋建築唯一の遺構」
P120:「遊女」とは「遊びを管轄する職業の女」
P121:平安時代に「遊び」の言葉はもっぱら「楽器を演奏すること」の意味で使われる。「戯れ」は身体を動かす遊び
梁塵秘抄』−「口伝集」には「今様の名手」として多くの「遊女(=女歌手)」が登場する。・・・「女は歌う、男は身体で戯れをする」
「売春をもっぱらにする遊女」は芸の無い遊女であって、一流の遊女は「売春婦ではない」、・・・時代が彼女たちを厚遇すれば「一流の遊女」が生まれ、時代に余裕がなくなると彼女たちは「売春婦と似たようなもの」になってしまう。
P125:マキシム・ド・パリの「ドゥミ・モンドの女」
P126:「揚屋で私設サロンを開く」−角屋の台所に植えられた2本の柱(古いえんじゅの木)の意味は「ここは大臣の家だ」、「三かい」
P129:維新政府は、「廃娼令」とは矛盾する「区画を限定した売春施設の営業」も認めてしまい、即物的な「セックスを売る施設」は日本中に拡がってしまう。・・・明治になって登場する「遊郭」は過去の「遊女を存在させていた文化」とは異質なものである。
(小田野直武筆)
P131:日本の洋風画は秋田に登場する。「秋田蘭画
平賀源内は「詐欺」とまでは言わないが、それに近いような微妙なところで一山当てようとする、その後の日本に一杯いる、どこか胡散臭い人のはしりのような人物。
P138:小田野直武は日本人だから、《不忍池図》の中に、「違う絵を描く二人の自分」がいることに頓着しない。
P148:渡辺崋山は生家が貧しく、内職で絵を描いた職業画家−《鷹見泉石像》、《市河米庵像》−線描を基本としている。
P160:《伴大納言絵巻》は「音が聞こえる絵」フキダシと擬音の文字を入れれば、そのままマンガ。
《英名二十八衆句》
P165:国家が「近代化」を提唱しなくても、「あ、そいつは必要だ。そいつはおもしれえェ」と思ったら、日本人はさっさと近代化を達成してしまうのである。
P168:「顔を見せない=そっぽを向く」−「観客に従う」という娯楽原則からの訣別でもある。
源氏物語絵巻》、《伴大納言絵巻》の画中人物たちは、絵巻を見る人間の視点を気にせず、彼等自身の現実に生きている。
《真写月花乃姿絵》−挿絵だけが近代になっていて、文章はまだ近代になっていない。
P169:国芳は才能を認められ豊国の弟子になれたが、広重は断られて、豊国の弟弟子である歌川豊広に入門する。
P171:「歌川派」とは、商品となる浮世絵を生産する工場で、その工業制手工業は「職人」という機械によって成り立っている。豊広は傍系の子会社で、豊国のこなしきれない仕事が、豊広のところに回って来る。入門先を求めていた広重も、そのように回って来た。
東海道五拾三次》に「プロの役者(浮世絵美人)」は「戸塚 元町別道」に登場する。
P192:日本文化は、縄文文化を置き去りにした、「弥生文化のその後」−縄文が弥生に吸い込まれる。
P199:火炎土器:火の中に立てる「炎に包まれた土器」は縄文人にはあのようにに見えた。縄文土偶も彼等にとって、「人」というものは、既に”何か”を宿しているものなのである。だから、「人」を造形する時には、その宿っている”何か”も一緒に表現されなければならない。・・・土偶もまたリアリズムの産物なのである。