「死体」が語る中国文化 (新潮選書)

「死体」が語る中国文化 (新潮選書)

「死体」が語る中国文化 樋泉克夫
「吃人」「人肉口炎食」
P16:1967年、香港左派の「香港暴動」
「武闘」、「アップル・デイリー」、「清明節」
P25:棺には乾燥剤として石炭を大量に入れる。
「寿衣=中国式経帷子」
「灰釘←死の婉曲表現」
P27:台湾の「蔭?屍=寿衣の類も腐らない死体」、「蔭乾屍=乾燥肉様な死体」
P28:「口含銭」「飯含」
「東華義荘(=東華医院義荘)」←「蔵風得水」
墓地→陰宅、首宅、宅兆
「入土為安=故郷の土に還ってこそ心安らか」「運棺、運柩=棺を故郷に送る」
(故郷と棺と骨へのこだわり)
P40:1998年山田耕介訳、D・チョン『チャイナタウンの女』−1929年以前のカナダ太平洋岸の華僑社会では、土葬墓から掘り出した遺骨は洗骨し、7年に1回の割合で船積みされ中国故郷に送られた。
P43:1840〜1911年の間、江南地方では「停棺不葬=棺を野晒し、長期になると数十年に及ぶ」の風習が見られた。1891年江蘇布政使の布告に「・・・蒸し返された臭気で、疫病が発生しやすい。直ちに、一斉に埋葬すべきだ」とある。←派手で立派な葬式が出せる資金が貯まるまで、棺を葬らない。
P48:「包運霊柩、包拉霊柩=中身の入った棺の宅配業者」、「客桟=伝統的な旅館」
棺は密輸に利用される。1920年代末、蒋介石軍は棺に武器を隠して運搬した。
昭和4年『世界地理風俗大系 第二巻』
P51:「?屍人」は死体の両脇に天秤棒を通し、二人一組で前後を挟んで走る。昼間は旅館に寝て、夜に旅立つ、黒猫を連れて歩いているのが?屍人の目印だったという。→「過電=(連れの)黒猫が死体をグルリと回る」、1949年江西省から四川省までこの死体運搬があったという。
一人と一体で運ぶ場合は昼に運搬する。旅館に着くなり「喜神打店」と大声を上げる。
1978年改革・開放政策後の中国政府は華僑・華人に向け海外に埋葬された遺骨の故郷への持ち帰りを許す方針をだす。
http://nemuihito.at.webry.info/200807/article_3.html
P56:・・・「魄」も尊ぶからこそ、肉体が原型を留める限り、言い換えるなら腐り果てるギリギリの時点まで肉体を保存しなければならない。・・・
P57:肉体が朽ちて骨だけになったとき、失われた魄を弔うために遺体を掘り出し、骨を洗い清めて埋葬しなおす。これが「改葬」、すなわち二次葬。
台湾のある地方や広東人の中には早く白骨化させて改葬を速める。
P58:改葬の際に骨の色具合を見て一族の吉兆を占う:遺骨の色は 黄>銀>白>黒 の順に目出度いので、黄色く着色を試みるので茶葉が棺に入れられる。
『葬経』は、骨は父の精、肉体は母の血からできている、と説く。ので男系は永遠。
「厳禁溺棄」、「溺棄=生まれた女児を水に沈めて間引く」
「検骨、拾骨、拾金、洗骨」
P61:「中原」から離れると検骨が見られるが、中原付近では無い。中原こそは漢民族にとって理想の「入土為安」
P64:骨が持ち去られた「陰宅」は別の棺が埋葬される。以前の墓石は痕跡を留めない様に砕き棄てる。が、建築物に再利用される場合も珍しくない。→乃木大将の母親の墓石は台北市の建築物に「再利用」されていた。
P69:「上に政策あれば、下に対策あり」−1999年4月1日、潮州市が「葬儀管理強化に関する通告」を公布した。理由は街中の公園に無許可で肉親を埋葬していた。
「活人墓」
P78:「紅包=心付け」
P80:「冥間用具」、紙銭とは道教の玉皇上帝を行長(頭取)に、冥府の閻魔大王を副行長にした「冥府銀行」によって発行されるもの。冥府国際銀行発行の「冥国美国元(冥土の米ドル)」まである。
P84:中国の先祖は子孫の援助を必要としている。供物で飢えをしのぎ、紙銭を焼いて貰い地獄の出費を賄って貰う。1999年『中国=文化と思想』
ならば、祖先を敬うということは、心のあり方ではなく、金儲けの現実的振る舞いを意味する。商売が上手、金儲けの才があるということが祖先に対する尊敬の度合いの尺度になる。
福地いま『私は中国の地主だった−土地改革の体験』
「敬死=葬儀で芝居の一座を呼んでのドンチャン騒ぎ」
P96:1993年3月、重慶市の貧農の葬式費用は彼の年収22年分を超える。
P107:「打旱骨=死体を打ち据える雨乞い」
P110:「討債鬼(借金取り鬼)」
P118:「万人抗」は日本の蛮行の”鉄証”ではなく、中国の庶民社会に秘められた相互扶助機能の一環。
P124:匪賊の「地獄殺手」張大治、「兵匪」の鼻祖「老洋人」
余山中・高明遠編著『旧中国醜 現象掲秘(上下)』、李清偉 丁大傑 鄭新法編『《共和国風雲実録》叢書 大 匪』、鶴年編著『旧中国土匪掲秘密(上下)』
P130:「花会」、「祈夢」
上海市文史館編『旧上海的烟娼』(百家出版1988年)
「戯迷」
「吃人肉」「風波亭」「界牌関」「慶陽図」「黄一刀」「戦苑城」「取洛陽」「戦長沙」「麒麟山」「貞女血」
「大へき棺」
P138:「走屍」
李時珍『本草網目』の最後は「人部第52巻」
P142:医食同源は何でも食べたいと思う欲望のカモフラージュ
2006年『不完全酷刑 案』
P146:「見馬克思=もうすぐマルクスに会いに行く」
P151:洪秀全らの葬儀改革を定めた『天条書』は「死者は貴賤の別なく被(フトン)で包み葬る。棺を使って葬ってはならない」ことを説くが、窮民たちはこれには抵抗した。
康有為『大同書』
P158:秋山良照『中国土地改革体験記』、陳凱歌『私の紅衛兵時代』
C・ウェイクマン『チャイナ・オデッセイ激動と迫害の嵐を生き抜いて(上下)』−「中国では常に、いったん敵の烙印を押されると、憐憫の対象外とされてしまう。そうなるとどんな極端な処置も正当化されるのだ」
『中国低層 訪談録(上下)』
『”天堂”挽歌』
大躍進は犠牲者4千万人前後、文化大革命は3千万から4千万人
P168:1967年から67年にかけて、重慶では前後30回を越える大規模な「武闘」が繰り返され、時には一晩で一万発以上の「高射砲弾」を砲身を水平にして相手陣営に撃ち込んだ。
P173:教科書的には反日運動と捉えられている「五・四運動」の特徴は中国人が至上・最上・絶対の原理としてきた孔子の教えに対し意義を唱えている点なのだ。中華文化に対する「大革命」だったのである。
ジャン・ウォング『レッド・チャイナ・ブルース 私の長征 1970'S-90'S』
P180:中国農村そのものがワルを生み出し続ける構造を持っている。
「図頼」