写真で見る在日コリアンの100年

写真で見る在日コリアンの100年

写真で見る在日コリアンの100年

P20:黒田礼二、越中谷利一『一兵卒の震災日記』、荻原朔太郎「近日所感」『現代』1924年2月号、
P24:「昨夜は人殺しで徹夜までさせられちゃった。三百二十人も殺した。外国人が亀戸管内に視察に来るので、今日急いで焼いてしまうのだよ」
「皆朝鮮人ですか」
「いや、中には七、八人社会主義者もはいっているよ」
「主義者も・・・・・」
「つくづく巡査の商売が厭になった」
「そんなに大勢の人間を何処でころしたんです」
小松川へ行く方だ」
(『種まき雑記』正岡高一の供述から、聴取人、弁護士・松谷与二郎、山崎今朝弥)

「・・・XXが裏に廻ったんで、直ぐ日本刀を持って追いかけると、それがXXでねえんだ」刺子の若者は自分に気を兼ね一寸此方を見、言葉を切ったが、直ぐ続けた。「然しかう言う時でもなけりゃ、人間はXせねえと思ったから、到頭やっちゃったよ」
志賀直哉『震災見舞』)

P27:白髭橋の真田千秋
P32:朝鮮飴売り
P96:1947年5月2日、日本国憲法発布の前日、外国人登録令を公布する。
P106:密造酒10万円罰金、懲役5年:日雇い、廃品回収、露店、行商、ドブロク、飴売り、養豚
P113:WW2で姿を消したパチンコが復活するのは1946年頃、在日が参入したのは47年頃から、1954年に連発式が禁止となった一時期、5万店が9000店に減る。日本人業者は転廃業できたが、在日は踏み止まり、この業界における比率が高まった。
P118:1952年4月法務省民事局長通達で、在日朝鮮人を国籍から排除。旧植民地出身者を戦後補償や福利厚生から除外。
P134:玉の海−『ヤクザと横綱