怖い絵

怖い絵

怖い絵 中野京子
ドガ『エトワール、または舞台の踊り子』
視点は平土間からではなく桟敷席から
P13:印象派展に何度も出品したドガだが「自然を眺めるのは退屈だ」と公言した。
18世紀末にオペラとバレエは完全に分離する。
オペラ座は上流階級の男たちのための娼館」
看護婦は最下層の老女か元娼婦、お針子は娼婦予備軍、オペラ歌手は娼婦と紙一重
観相学全盛の時代でもあり、ドガは踊り子の顔を醜く描き、それが労働者階級特有の顔であることを示した。「ドガの描いた踊り子は女ではなく、平衡を保った奇妙な線である」(ゴーギャン

ティントレット『受胎告知』
・・・たとえ聖なる奇蹟といえども、ギリシャ悲劇における「避け得ない運命」と通低するのだという認識は、ルネサンスの静かで幸福な理想主義と百八十度違った世界観である。

ムンク『思春期』
45歳で精神科に入院し、心身の健康を取り戻してからは、見るべき作品を残すことが出来なくなる。

クノップフ『見捨てられた街』
44歳から3年近く、ブリュージュの絵ばかり描き続けるが、現地には行かず、全ては昔の記憶や絵葉書、ローデンバックの『死都ブリュージュ』に挿入されていた30数点の写真を元に、まるで幻視を絵画化するかように描いた。
依頼された肖像がを除いて、実の妹以外のモデルを使っていない。『思い出』で野原に佇む7人の女性たちは、全て同じ妹の顔。『死都ブリュージュ』の亡き妻=妹なのか?

ブロンツィーノ『愛の寓意』
寓意画=鑑賞者は解読に挑戦するのが、宮廷社会の知的遊戯。

ブリューゲル『絞首台の上のかささぎ』
ロッシーニのオペラ『泥棒かささぎ』、かささぎ=告げ口、密告
教会法によれば魔女容疑者を逮捕するには、1)告発と立証、2)匿名による密告、3)噂、がありが、1)は稀で多くは2,3)

ルドン『キュクロプス
ポリュペモスとガラテア
正々堂々と愛を得る自身のない彼は、窃視によって相手を手にいれるしかなかった。

ボッティチェリ『ナスタジオ・デリ・オネスティの物語』
デカメロン』の五日目第八話

ゴヤ『我が子を喰らうサテュルヌス』
(修復され塗りつぶされているが)サテュルヌスの股間には勃起した一物まで描かれていたらしい。
ナポレオン軍侵攻で1808〜1814年、異端審問が復活、リベラル派が徹底的に弾圧される。

アルテミジア・ジェンティレスキ『ホロフェルネスの首を斬るユーディト』
女には絵は描けないという後世のアカデミズムの偏見が、本人の署名が在るのに父の作品または共同作品としてしばらく埋もれていた。
レイプ裁判、「シビラ」

ホルバイン『ヘンリー八世像』
「コドピース」は毛皮
王室の見合い写真:写真が無い時代は画家が出向いて肖像画を描いた。

ベーコン『ベラスケス<教皇イノケンティウス>による習作』

ホガース『グラハム家の子供たち』
西洋では子供は大人のミニチュアと捉えていたので、完全な子供専用服は18世紀後半になるまで登場しない。
この時代、男子も3,4歳までは女児服を着ている。
「イギリス漫画の始祖」版画にして大量販売−『娼婦一代記』、『放蕩児一代記』、『残酷の四段階』
この作品の陰の主題は「メメント・モリ」→大鎌、砂時計
羽ばたく鳥は魂が肉体を抜け出す象徴だが、絵のトーマス君も絵の完成直後に病死。

ダヴィッド『マリー・アントワネット最後の肖像』

グリューネヴァルト『イーゼンハイムの祭壇画』
アントニウス病=細菌感染したライ麦による麦角アルカロイド中毒で発症する。

ジョルジョーネ『老婆の肖像』
中世には老人蔑視がまかりとおったが、ルネッサンスになると更に貶められるのである。
「美女は二度死ぬ」

レーピン『イワン雷帝とその息子』

コレッジョ『ガニュメデスの誘拐』
・・・抵抗の気配さえ示さない。この子なら言いなりになる筈だ、しかも神であるこちらを無条件に崇拝し、愛の施しを喜んで受け入れるだろう。

ジェリコー『メデュース号の筏』
幅9m×長さ20mに146人の男と一人の女(彼女は漂流6日目に衰弱が理由で海中に放り込まれた)
『難破の光景』のタイトルで出品されたとき、当時の御用批評家は「ハゲタカの眼を満足させるために描かれた下らない絵」と酷評した。

ラ・トゥール『いかさま師』
ルイ14世の代に飽きられて、20世紀初頭に再発見される。後年の彼は近隣の嫌われ者。