長州奇兵隊―勝者のなかの敗者たち (中公新書)

長州奇兵隊―勝者のなかの敗者たち (中公新書)

長州奇兵隊 一坂太郎
高杉晋作の二人の姪は維新直後、萩の旧城下にて嫁の貰い手がなかった。晋作の縁者ゆえである。
P27:(久坂玄端)吉田松陰遺体の改葬は、「俘屠(僧侶)に託し候ては相叶わず候。・・・」
P29:奥平謙輔
P38:霊山歴史館所蔵の『文久仕置絵図』
P60:「不知所終」
P79:田原坂では政府軍だけで1日322000の小銃弾を消費する。
P83:「諸隊」は延べ400
P105:『奇兵隊日記』−「袖印」
P126:中山忠光
P130:「野唯人」
『贈従四位中村円太伝』→『野史台維新史料叢書(十一)』
宮内省編『修補殉難録稿』
P136:赤禰武人
P137:12月15日、高杉晋作が遊撃軍と力士隊の80人を率いて、下関藩会所を襲撃した際に晋作が最も頼りとした奇兵隊には傍観される。
P145:『奇兵隊日記』は、各地の日記・記録類を山県有朋が総題し、京都尊攘堂に納めたもの。
P169:戊辰の役、長州藩の宗藩(本藩)は2200人が出兵、427人戦死
P177:「おめでとうございます」
P193:明治2年12月1日「脱隊騒動」
P200:佐々木祥一郎
P205:長島義輔
P210:大楽源太郎
P218:「隊中さま」
P229:高杉晋作墓碑の表は「東行墓」、裏には「谷潜蔵源春風」云々・・・晋作本人は谷家という新しい家の当主になるつもり。
P234:前原一誠